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6月, 2024の投稿を表示しています

日記:透明試論と素数ゼミ

  アメリカで素数ゼミが大発生しているらしい。そこまで昆虫に執着はないし数学は苦手なのだが、素数というものの存在とそれにまつわる謎は結構面白いと思う。また、昆虫の造形を観察するのは結構好きだ。色が変わっていたり、模様がついていたり、透明な部分があったりすると、綺麗だなと思う。例によってファーブル昆虫記とかを読んでいたので、生態にも興味がある。ということで、ここ最近は素数ゼミ関連の話題をちょっと追っていた。  そこで、素数ゼミの概念コスプレ的なものを考えてみた。中のシャツが黒で、羽織っているシャツは羽のグラデーション+透ける素材、ショートパンツは茶色、ベルトは白、ブレスレット、イヤリングと靴下がオレンジで、スニーカーは黒か白になると思う。もちろんサングラスは赤だ。この配色が素晴らしい。あのカラーパレットで差し色を赤にするのは上手いと思う。いや、セミはそんなことを意識していないとは思うが……あと、とにかく羽が透明なのがいい。  セミでいうとクマゼミもそうだが、透ける天然素材のお洒落さと魅力は異常だ。プラスチックやガラスなどの人工物というか、工業製品というか、そういうものを連想させるからだろうか。そもそも人間は、透明なものが好きなのではないかと思う。海も透明度が高いというと誉め言葉だし、宝石も透明度が高いと値段が上がる。また、透けることにも執着があると思う。スケルトンが流行ったのはもう昔のことだが、ガラスを多用した建築は開放感があるともてはやされるし、水底が見える水域は美しい景色を楽しめるものとされる。  しかし、この志向性はどこから来るのだろうか。心理的な面では、「透明性」というのは清廉潔白であることを表現するのに使われるし、英語でも clearly と言えば文章や説明が分かりやすく明らかであることを表す。ということは、表現の対象はなんであれ、人間は文化を越えて透明なもの、透き通っていることによいイメージを持っている可能性がある。それが何故かはよく分からない。ただ、日本人の世界観にはハレという考え方があり、神道における水と清めの概念にも関係があることが影響しているのではないかと思う。後者に関しては神道に限ったことではないので、世界中でこのようにして意味の形成が行われてきたのかもしれない。 ---------------------------------  19年目。

日記:異邦人と夏

  高3のこの時期にカミュの「異邦人」を読んで以来、夏になるとあの本を読みたくなる。とにかく描写が好きだ。フランスのからっとした明るい夏、サラサラしたベージュに透明な青が転がるような真昼、やわらかい暖かさの中で深い青にオレンジが灯る夜。フランスいいな。いつか行ってみたい。主人公にも共感できる。人間ってわかんないよな。そういう気負わなさとあの美しい描写のおかげで、なんとなく癒される話だ。  フランス、夏、海、といえば、中学生の時に「悲しみよこんにちは」も読んだ。あれは12歳には刺激の強い話だったし、ちょっと眩しすぎた。人間の複雑な情熱を理解しきれない。理解するものではないのかもしれないし、そういうものだと捉えれば受け入れられるのかもしれないが、別に積極的に受け入れようとも思えない。理解できないものを把握はするし、形式的に知る必要性は認めるが、わざわざそのために自分が変わろうとは思わない。いつか自分が変わって理解できるようになったなら、それはそれでいい。

妄想する AI、という想像

 人工知能は VTuber の夢を見るか? どうもこんにちは、天然マドロイドです。 人工知能と妄想について。   先日、知り合いの漫画サークルの部員の人(以下原作者さん)から、ある質問をもらいました。要約すると、「新しい漫画の原作を妄想する人工知能の話にしたい」「しかし、一見生産性皆無な自閉的な思考を AI が獲得する理由で詰まった」「そのように自分の殻に篭ることが合理的になる理由はあるか?」といった感じで、AI が生産的でない妄想という活動をする合理性についての質問でした。  ということで、今回は妄想する AI、そしてそれを考えるということについての考察です。  そもそも合理性とは何かという定義ですが、辞書的には "1 道理にかなった性質。論理の法則にかなった性質。 2 むだなく能率的に行われるような物事の性質。「—に欠ける役割分担」" (『デジタル大辞泉』より) とされています。 その上で、合理性と自閉的思考が両立するか(殻に籠ることが合理的といえるか、そもそも自閉的思考に生産性はあるか)についてですが、個人的にはAI の自閉的思考に合理性はあると思います。また意味から見ていきましょう。   まず、自閉的思考というものについては原作者さんの定義だと思われるものを使います。「殻に籠る」という表現をされていますが、要するに、何か問題を抱えた状態で外界とのコミュニケーションを取ることなく、自分一人で考えている状態を指しているのだと思います。さらに、これを「生産性がない」としているのは、インプットはあるが(社会的な)アウトプットがほとんどない状態でもある、ということではないでしょうか。いわゆる、一般的な形容としての空想、夢想、妄想に近いものでしょう。   次に、そもそも人工知能を人間が何であるとしているかについてです。総務省のサイトでは、 "人間の思考プロセスと同じような形で動作するプログラム、あるいは人間が知的と感じる情報(じょうほう)処理(しょり)・技術(ぎじゅつ)" (総務省) とされています。人間の思考プロセスと同じような形で動作するということは、AI が妄想することそのものはあり得るのではないでしょうか。現に、生成AI は架空の情報をでっち上げてきたり、存在しない画像を作り上げたりします。しかし、それを単に「こちらの要求