スキップしてメイン コンテンツに移動

フェンストーノ公国観光案内所 頒布物問い合わせページ

ここは、サークル「フェンストーノ公国観光案内所」の頒布物についての問い合わせページです。

問い合わせは、まずどの作品についての問い合わせなのかを明記した上、コメントにてお願いいたします。


瑛理 窓



↓ 解説や蛇足をまとめた投稿です

火星論 解説など

窓辺に於ける思考 解説など


↓ booth です

フェンストーノ公国観光案内所 booth 出張版



P. S. お詫び

「火星論」P35の下段10行目、「人権>尊厳」は「人権<尊厳」の間違いです。申し訳ございません。横書きだったものを無理やり縦書きにしたので……気を付けます。


追記

「火星論」p7の上段5行目、「今年月」は何月、というのを入れ忘れていたものです。というかそもそも、2022年の話だったらしいです……過去数年の記憶を全部ここ半年くらいのことだと思っているあたり、なんだかもう年ですね。

間違いが今更いろいろ見つかって申し訳ないので、次のイベント(コミケに限らず)で初版の火星論を持ってきてくださった方には改訂版を差し上げます。夏はちょっと厳しい気がするので、冬でしょうか。そういうことですので、よろしくお願いいたします。

コメント

このブログの人気の投稿

窓辺の旅行記2024夏 名古屋編2 名古屋市科学館・特別展「毒」

  いつかは毒とか持ってみたい。 どうもこんにちは、無毒マドロイドです。 今回は名古屋市科学館と特別展「毒」のレポートです。  「窓辺の旅行記2024夏」、第二回目に紹介するのは名古屋市科学館です。建物二つに球体のプラネタリウムが挟まれたような独特の見た目で、写真で見たことがあるという方もいらっしゃるのではないでしょうか。今回は特別展のほか、(あまり時間がなかったけど)常設展も見に行ったので、この二つについて書いていきたいと思います。 名古屋市科学館-Googleマップ 〈毒とは何か?〉  「毒」は、令和6年7月13日から9月23日まで開催中の特別展で、そのまま「毒」がテーマになっています。身の回りの毒、意外な毒、そして毒とは何か、毒と人間の関係性、などについて、実物の標本や模型を交えながら解説されています。チケット売り場でまあまあ並んでいたので、クレジットカードを使える方にはチケットの事前購入をお勧めします。チケットを購入して、僕は荷物をそのまま持ってきていたのでコインロッカーを使おうとしたのですが、探してみて驚きました。  周期表?!……ではないようですが、元素記号が並んでいます。いやはや、こういう遊び心はいいですよね。科学館という場所にいるワクワク感が高まります。好きな元素記号のところに入れたいところですが、管理人のバックパックはちょっと入りませんでした……ですが、ご安心ください。これはコインロッカー(小)でして、他の場所にちゃんと中と大もあります。お金が返ってくるやつでよかったですね。管理人が使っているのはコールマンのシールドシリーズの、確か35リットルのやつですが、中のロッカーにおみやげの袋と一緒に問題なく入れられました。  特別展の会場は地下なので、階段を下りていきます。初っ端の「ご挨拶」から既に素晴らしいですね。この会場は一部を除いて写真撮影が可能でしたので、ここからも写真を交えつつ紹介します。  まず来場者を出迎えてくれるのは、チョコレートとアルコールです。そう、この世界は毒に溢れています! 『酒に含まれるアルコールも神経毒の一種です。』いやー素敵ですね。視点を変えればあれも毒、これも毒。みんな毒って大好きですよね。毒は生命の機械的な部分にぴったりとはまる武器であり、それゆえに美しく、また同時に危険です。綺麗なものと危ないものには魅力がありま...

  管理人の愛は重いらしい。時々言われるので、そうなのだろう。しかし、80億の人間ともっと多くの生物、地球環境、それに自分のと他所の創作キャラの絡みなんかを丸ごと愛せるレベルでなければ、管理人は環境屋をやっていけないようにも思う。ただ、これは別に無理に愛を作り出している訳ではない。愛とは何か。これは、考えること、思うこと、想像すること、形にすること、すなわち思想だと思う。  哲学がフィロソフィア、すなわち知を愛することであるように、愛とは原動力である。そして、哲学という営みの根本にあるのが人間の考えるはたらきであるならば、愛は人間の思索であり思想だろう。何かを考えているとき、そこには何かしらの愛が発生するのではないだろうか。  もしそうでなければ、その時には人間として精神的な危機の状態にあるのかもしれない。何かを積極的に考えて想像することは、人間に特有の行動だ。その原動力が愛なら、愛がなく限りなく機械的な情報処理に近い思考は、人間的ではないだろう。それはおそらく、ほとんど受け身に何かの様式に則って考えている、もしくは生物としての本能に従ってプログラム的に動いているに過ぎないのだろう。  そして、そのような思考を形にすることで、愛はきっと確立される。思考といっても、思想として纏まらない考えや、自分の中に秘めている想いというものもあるだろう。それらが全くもって愛ではないとは言えないとは思うが、やはり何かしらの表現によって形にしなければ、対象に示すことができる愛にはならないのではないだろうか。  愛には形がある。それは、思想を思想として表現できるということである。もし表現できない思考があったとしたならば、それは場合によっては恋なのかもしれない。恋は一方的だ。そして、形をとらない思考、すなわち原動力の源は高カロリーなエネルギーに近いのではないだろうか。恋とは動力源であり、エンジンに対するガソリンである。それ単体では危険で、扱いづらい。しかし、爆発的な可能性も持っているのだろう。  以上から、愛とは思想であり、地球環境と生物のために考えている管理人の愛はやはり地球規模である。1人の人間として、愛していたいと思うし、愛されたいとも思う。贅沢を言えば、誰かの思想を、愛を尊重したいと思うし、自分の思想も誰かに大切にされてほしいと思う。 __________________ ...

日記:大学生と夏

 ティーンもあと3か月で終わるらしい。だから何だという話だが、3か月後はもうオーストリアの建国記念日で、学祭もあって、……と考えると不思議な感じがする。そうか、この暑さもあと3か月持たないくらいか。日が昇ると暑くなって、昼が長くて、サンダルで出歩いて、空が広くて、夜は扇風機のタイマーをかけて寝て、……というのも、その程度しか続かないのか。そう思うと、まあ夏を楽しんでやるかという気が起きないでもない。  19か。19年生きてきて、それは俺にとって何なんだろう。感覚的には小6と高2くらいで断絶している気がするし、昔のエピソードはどんどん忘れていくし、昔の感覚は持ち合わせていないし、一体今の俺は何者なんだろうか。いや、高1の時の俺は、小5の時の俺は、誰だったんだろうか。一方で、こういう疑問はあるけど、自分は自分でしかないとも思う。それ以外に説明しようがない。その自分をどう説明して、どう目標づけていけるんだろうか。  毎日暑い。一限に向かう時間帯ですら暑い。今は涼しいところにいる。暑いから、家に帰ってもさっぱりしたものばかり作っている。火を使うと暑いので、3日分くらいおかずを作り置きする。冷やしておけるので都合がいい。洗濯物を干す。よく乾いて助かる。畳んで仕舞って、またそのうち着る。大学で勉強する。図書館で本を読み、課題をし、レポートを書く。サークルで標本を作り、環境整備をする。絵を描く、日記をつける、ブログを書く、本を読む、ゲームをする、音楽を聴く。ニコニコ動画が復旧しないから動画を見られない。  特に、何者でもない。ただの一般大学生が夏に生きているだけだ。でも、いつかは何者かになって、何らかの役割を担って、社会で生きていかないといけない。その時、何を目標にして生きていけるのだろうか。何ができるのか、何をしながらなら生きていけるのか、どうやって生きていたいのか。自分の幸福と自然のために、社会的に、環境のために、自分の人生をどう生きていくのか。  ただ漠然とした不安と比較的はっきりした信念があって、大学に入ってからもしばらくは空回りしつつ、ただ肥大化していた。でも、それもバウムクーヘンみたいに丸くなっていたのでなくて、偏りがあるから引っ掛かってスムーズに動けなくなっていった。そういう自分の個性とか専門性を生かして生活する、働く道とはいったい何なのだろうか。この停滞した状況を...