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窓辺の旅行記2024夏 名古屋編2 名古屋市科学館・特別展「毒」

  いつかは毒とか持ってみたい。

どうもこんにちは、無毒マドロイドです。

今回は名古屋市科学館と特別展「毒」のレポートです。


 「窓辺の旅行記2024夏」、第二回目に紹介するのは名古屋市科学館です。建物二つに球体のプラネタリウムが挟まれたような独特の見た目で、写真で見たことがあるという方もいらっしゃるのではないでしょうか。今回は特別展のほか、(あまり時間がなかったけど)常設展も見に行ったので、この二つについて書いていきたいと思います。

名古屋市科学館-Googleマップ


〈毒とは何か?〉

 「毒」は、令和6年7月13日から9月23日まで開催中の特別展で、そのまま「毒」がテーマになっています。身の回りの毒、意外な毒、そして毒とは何か、毒と人間の関係性、などについて、実物の標本や模型を交えながら解説されています。チケット売り場でまあまあ並んでいたので、クレジットカードを使える方にはチケットの事前購入をお勧めします。チケットを購入して、僕は荷物をそのまま持ってきていたのでコインロッカーを使おうとしたのですが、探してみて驚きました。

 周期表?!……ではないようですが、元素記号が並んでいます。いやはや、こういう遊び心はいいですよね。科学館という場所にいるワクワク感が高まります。好きな元素記号のところに入れたいところですが、管理人のバックパックはちょっと入りませんでした……ですが、ご安心ください。これはコインロッカー(小)でして、他の場所にちゃんと中と大もあります。お金が返ってくるやつでよかったですね。管理人が使っているのはコールマンのシールドシリーズの、確か35リットルのやつですが、中のロッカーにおみやげの袋と一緒に問題なく入れられました。

 特別展の会場は地下なので、階段を下りていきます。初っ端の「ご挨拶」から既に素晴らしいですね。この会場は一部を除いて写真撮影が可能でしたので、ここからも写真を交えつつ紹介します。


 まず来場者を出迎えてくれるのは、チョコレートとアルコールです。そう、この世界は毒に溢れています! 『酒に含まれるアルコールも神経毒の一種です。』いやー素敵ですね。視点を変えればあれも毒、これも毒。みんな毒って大好きですよね。毒は生命の機械的な部分にぴったりとはまる武器であり、それゆえに美しく、また同時に危険です。綺麗なものと危ないものには魅力がありますからね(取り扱いには注意)。しかし、これはいい展示ですよね。模型でも、こうしてケースに入れられていると毒なんだなと思いますし、身近なものが仰々しく展示されている面白味もあります。こんな感じで展示が始まります。

 次に目に入るのは、巨大なオオスズメバチとハブの模型です。迫力満点ですね。同行してくれた友達が苦手だったようなので軽く流しましたが、スズメバチの毒針や、ハブの牙の先端から毒が出ている様子がよく分かって面白かったです。これがカエル目線なのかもしれません。そう思うと怖いな。隣にはこれまた巨大なイラガの幼虫の模型があり、見てるだけでチクチクしてきます……いえ、今のところ刺されたことはないですが。

 ところで、この特別展の特徴として、国立科学博物館の標本が多く展示されているということが挙げられると思います。どうやら、名古屋の前は科博の特別展として開催されていたようです。なるほどそういう。そういえば、Twitter か何かで見たことがある気もしますね。

 これは彼岸花の標本です。ああいう球根ってヒモで縛って固定するんだ。花の開き方も2パターンあって親切だな。牧野富太郎植物記にはなんて書いてあったっけな。とか思いながら歩いていたら、しばらく先でこんな標本を見つけました。


 シロバナムシヨケギク、東京帝室博物館?……採者牧野富太郎??!! 管理人大感激です。といいますのも、結局ここに書く機会はなかったのですが、僕の植物標本趣味は牧野富太郎先生の著書と先生の弟子の著書から来ているんですよね。呼び捨てに抵抗があって、「牧野先生」とか言ってしまうのはこの本の影響です。セオリーとか探してもそんなに出てこない標本界隈に足を突っ込むきっかけになったのは、中学の時に図書室でたまたま手に取った「牧野富太郎植物記」の牧野先生の言葉に感銘を受けたからなんですよね。なので、僕の植物標本作成のノウハウは牧野式になっています。一時期は本気で明治に転生して採集会に参加したいとか思っていました。それはさておき、100年以上の時を経て、あの牧野先生が採集された標本が目の前に……いや、本当に感動ものでした。

 話が逸れましたが、引き続き特別展のレポートです。

 これはコモドオオトカゲ、ちょうど東山動植物園での展示も始まりましたね。じつはここにも行っているので、後々まとめます。うーん、パッと見は大きいトカゲって感じですね。いや、トカゲにしてはずいぶん大きいですが、トカゲだなという感じです。ですが、このトカゲはなんと唾液に血液凝固阻害や血圧低下を引き起こす成分を含んでいるそうで、なかなかの厄介者です。失血によるショック死……もちろん噛まれた時には痛いのでしょうが、毒の効果としては痛いとか幻覚とかではなく失血というのが、殺意が高くていいですね。獲物を狩る毒ですもんね。そう思うと、マスコット的な笑み(?)を浮かべてぬいぐるみ然としたもっちりフォルムで横たわっている標本も、途端に目が輝いているかのように見えてきます。オイシクナイヨー、ミノガシテクダサイ。

 この特別展では展示の合間に挟まれているコラムも非常に興味深く、面白い内容が簡潔にまとまっています。こちらは日本語の「毒」の英語訳についてのコラムです。この図は大変分かりやすいですね! しかし、どうしてこう細かく分かれているのでしょうか。言葉として細かく分類されている対象は、その言語を使う文化圏にとって重要なものである、というようなことを聞いたことがある気がしますが……イギリス人にとってそんなに毒が重要だったのでしょうか? さらっと調べたところ、これらはどれもフランス語由来らしく、大陸で色々意味があったものが英語に入ってきて毒という意味が加わったので、そのもとの意味によって使い方が分けられている、という感じらしいです。いえ、よく分かっていないので、詳しい方がいらっしゃったら是非ご教授ください。

 これは世界の矢毒文化マップです。こうしてまとめられているのは初めて見たかもしれません。よく見ると日本の北海道も塗られていますね。アイヌの人々が弓矢に使用していたようです。ここゴールデンカムイで見たやつだ! 「毒」展では毒そのものの解説だけでなく、このような人間の文化や歴史と毒の関係性についての展示もあったのが印象的でした。人間が毒って言ってるんですもんね。毒っていいですね!


〈常設展〉

 名古屋市科学館は大変大きい科学館でして、管理人の地元の科学館とはスケールが違います。回るのも一苦労なので、皆様は時間に余裕をもってお越しになることをお勧めします。我々は全然時間が足りませんでしたが、かいつまんでレポートします。

 全体的には子供向けの体験型展示が多い印象でしたが、大人でも楽しめるものが多いです。みんな大好きウェーブマシンのすごく大きいやつとかがあります。人間の骨格模型でパズルができるものもありましたね。友達は「これで福笑いしたら面白そう」とか言っていて笑っていました。確かに本質は同じなのですが、顔だけでなく全身ガタガタになるというのは、福笑いより事態が深刻な気もします。心臓の拍動を実際に握って確かめることができる装置や、スイッチ一つで竜巻を発生させられる装置もありましたね。久屋大通の模型もありました。これは竜巻の写真です。

 とにかく、特別展に行ったのが昼過ぎだったので時間がなかったんですよね。人も多かったですし、次はゆっくり見て回れるように計画を立てたいところです。駆け足になりましたが、常設展のレポートでした。


 ということで、以上が名古屋市科学館の特別展「毒」と常設展のレポートでした。特別展は23日には終わってしまうらしいので、見たい方は今のうちに是非!


  次回も引き続き名古屋編、東山動植物園を紹介する予定です。もしかすると番外編が挟まるかもしれませんが、ぜひどちらもお楽しみに。


それではまた。



〈参考文献〉

名古屋市科学館ホームページ

特別展「毒」特設サイト

Etymonline(venom, toxin, poison)

コメント

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