出窓はいいぞ。
どうもこんにちは、窓辺のマドロイドです。
「気分は上々106」で頒布した『窓辺に於ける思考』についての解説など。
まずは今年も、新年あけましておめでとうございます。今年もインターネットの端っこで活動する予定のこのブログを、どうぞよろしくお願いいたします。
ありがたいことに、なんとか昨年も本を出すことができました。相変わらずコピー本ですが、今回も楽しい本が出来上がっているのではないでしょうか。
では、各文章の解説に入る前に、題名や章タイトルの解説をしたいと思います。今回の本の題名は『窓辺に於ける思考』ですが、実は表紙の下にはエスペラントの題名も載っています。『Apudfenestra Pensado』ですね。意味は「窓辺の思考」なので、同じです。窓辺という単語は、いつもお世話になっているエスペラント辞書のサイトで検索したけれど出てこなかったので、海辺(apudmara)という単語を参考にしながら「窓辺(apudfenestra)」という単語を作ってみたものです。エスペラントはこういうところが面白いですね。
章の題名は、今回は「幸福」「ユートピア」「夢」「未来」、そしてエッセイ「四季」になっています。前回の火星論では「宇宙」「世界」「フェンストーノ公国」「窓辺」でしたね。これは環境分野でもよく言われる虫の目鳥の目的な感覚をイメージしたものですが、今回の章タイトルは、明るく元気な感じにしてみました。(当社比)希望に溢れた内容の文章が多かったですからね。ええ。エッセイは、なんとなく集めてみたら四季が揃っているなと思ったので、そのまま採用しました。四季の感覚は現代日本に即しています……一応。
さて、ここからは各文章の解説です。
・窓辺の幸福論
お前が幸福とか言い出すと雲行きが怪しい……というのは、火星論の最後の文章だった「環境屋と人生」とかをお読みになった皆様に思われているかもしれないなと思いながら書きました。なんというか、結局管理人は完璧主義で理想論者的な傾向があるのですが、なんとかこの世界で生きていくために、生活者ベースの判断で妥協しているというところがあると思うんですよね。まあ人生、結局そんなものなのかもしれません……少なくとも管理人にとっては。
あと、「実践真則」とか「真則(Verego)」とかいう謎の用語が突然出てきましたが、これは Twitter で言っていたものです。簡単に説明すると、真則(Verego)というものは普遍かつ不変の事実として想定されている事象で、そういう概念そのものです。例えるなら、理想的な科学という考え方みたいなものですね。さらに実践真則とは何かというと、そういう真則があるのかどうかということは断言しにくい(科学でいうとトランス・サイエンスの問題とかがある)ので、現実的な表現としては何になるのか、という話のことです。実践真則として存在する科学というと、サイエンスコミュニケーションとかになるのでしょうか。幸福でいうと、妥協とか運用とかになるわけですね。
今回は全体的に、こういう応用的な所を意識して書いた文章が多かったのではないかと思います。これまで散々打ちのめされてきたし、これからも各場面で潰れたり萎れたり爆散したりするのでしょうが、戻ってくる場所が見つかった感じですね。成長でしょうか。よいことなんじゃないですかね。これからも頑張らないといけませんからね。ということで、今は基本的に薄っすら幸せです。ありがたいことです。
・許容する社会
そして突然の地獄です。いやー、やっぱり現実世界というものは厳しいですね。インターネットに逃避したい。とはいっても、やはりどうにか生きていかないといけないし、管理人はそれに理論が欲しいしということで、こんな文章が出来上がりました。許すとか許されるとか、我々も日常的にやってることだと思うんですが、突然「許す」もしくは「許される」で殴られることってありませんか? いや、管理人が社会不適合すぎてその裏の文脈を読み取れていないからかもしれませんが……ともかく、管理人的な許容論を作ることで、どうにか他の人の幸福を損なわず、よく分からないダメージを負わずに生きていこうという魂胆なわけです。許してください。
これは校正をしてくださった方からの評価が良かったのも嬉しいですね。読んでいて楽しい、興味深いと思ってもらえるような文章を書いていきたいです。なお、この校正者の方が、去年ブログを開設してくださったので、ここで紹介させていただきます。
管理人がいつもお世話になっております……ありがとうございます。その他の協力者の皆様も、ここでお礼申し上げます。即売会では、今回も売り子の方に協力していただけまして、大変助かりました。皆様今後ともよろしくお願いいたします。あの、名誉国民とかいつでも登録しますのでお申し付けください。
・理想のディストピア
ディストピアはお好きですか? 環境屋のセリフではないような気もするのですが、創作をする人間としてはディストピアとか管理社会とか、SFサイバーパンク系のポストアポカリプスものとかがかなり好きです。もともと廃墟が好きなのと、近未来を舞台にしたサイエンスフィクションが好きだったんですよね。
廃墟については写真集をよく見ていたこと、SF については手塚治虫や星新一の作品を好んでいたことが影響していると思われるのですが、そういう嗜好が形成された上で小学生の時に読んだ、あさのあつこの『NO. 6』という作品でディストピア好きに目覚めました。この作品は確か国語のテスト(業者製)の裏におすすめの図書として載っていたもので、とても面白く読みました。いや、今の自分が小学生の親戚とかにおすすめできるかと言われると、ちょっと躊躇しますが。色んな扉をパカパカされましたね。ハイ。
ところで、これは挿絵も結構気に入っています。ロールズ的な未来倫理のイメージと、ウェディングケーキモデルの考え方を参考にしています。資源利用は計画的に!
・建国記念日
「いんたーねっとハリボテ国家」。語感を気に入っています。平仮名と片仮名の字面も虚無感があっていいですね。その虚無に意味を与えるのが国家という考え方であり、歴史です。あと、「第三の国家」という表現も気に入っていますね。「第三のビール」ではないですが、この何ともいえない立場というか、ふわふわした表現がいいなと思ってます。第三者というか、そういう当事者ではないけど理解している立場というか。自称独立国家もそんなものということです。承認してもらえるなら嬉しいですけどね! まずは国土からどうにかしなければ……メタバースとか?
挿絵は制服マッドちゃんですね。これの詳細は去年のイラストまとめにも載っていますが、今年追加された要素を少し紹介しましょう。まず、エギュレットです。これは肩から下がっている紐のことでして、先っぽの尖った飾りは「ペンシル」と呼ばれます。昔は実際に鉛筆を取り付けていたらしいですね。ただ、大元は馬の手綱だとかメジャーだとかいう説もあるようです。フェンストーノ公国の制服では、後者は無視して鉛筆の進化系(?)であるボールペンを取り付けています。妙なところがアナログなハイテク国家です。先に金属製の幅が細い輪っかがついていて、これをエポーレット(肩のやつ)に通して固定しています。そのためのボタン式なんですね。あと、左胸に国旗リボンが追加されています。これはただの飾りです。
・ハルキゲニア
ハルキゲニアが好きすぎて書きました。実在した幻覚、いいですよね。「まぼろしのポケモンをゲット!」並みの現実感のなさ(ダブルミーニング)とワクワク感があります。そういえば先日、科博に行った友達がハルキゲニアのスタンプをお土産にくれました。嬉しいです。ただ、使ってみたら「シワシワでちょっと怖い」と言われました。うーん。ハルキゲニアが普通種の世界に生まれたかった……だって生餌も要りませんし、小さいし、可愛いし……飼育クラスタの皆さん、どうですかね?
しかし、認知とか認識とかいうものは面白いですね。カントの認識論とかも好きなのですが、自分が見ている、認識しているものの本質(?)とは何なのだろうか? そういうものがあるのだろうか? みたいな話が好きなんだろうと思います。考えてて楽しいテーマですね。この辺は真則の話にも繋がってきます。もしかすると、古代に存在した本物のハルキゲニアというものは、生物としては例外的に真則として扱われるのでしょうか。
これは挿絵も結構気に入っています。認識がテーマなので、なんちゃって三猿です。背景はハルシネーションハルキゲニアですね。エタ可愛いな(自画自賛)。
・人間は妄想する AI の夢を見るか?
前作の「バーチャル美少女は電気リア充の夢を見るか?」に引き続き、技術と人間の文化の話です。いえ、続き物ではないので関連は特にないのですが、テーマが似ているので似たような題名を付けてみました。挿絵は、ブログにも載せたケシの花のイラストをネガマドラー仕様にしたものですね。ネガマドラーもようやく細かいデザインが落ち着いてきた感じがします。このイラストは、寝そべっている下敷きになった黒い白衣がぐしゃっとなった感じを気に入っています。線画が上手くいったので、トーンを貼ってどうなるか不安だったのですが、どうにかなってよかったです。
おそらく、バーチャル美少女が電気リア充の夢を見ることはないと思うのですが、人間は妄想する AI の夢を見ることができると思います。これはおそらく人間に固有な能力であり、人間が「人間らしい」と思う点なのではないでしょうか。人間は想像する生き物なんですね。この辺はディストピアの話ともつながってくるかもしれません。やっぱり美術とか芸術とかデザインとかも大事なんですね。この辺は非常に興味深い分野です。
・孤独と都市
これは、下書き状態で放置していたブログを仕上げたものですね。元の題名は「孤独と窓辺」でしたが、窓辺スケールの話に収まらなくなって「孤独と都市」になりました。大学に入ってから都会に出てきたわけですが、都会ってひとり空間の集積みたいな部分がありますよね。仕切られてるカフェチェーンのカウンターとか、単身者用アパートとかを見ていると思います。一人のための消費先が充実しているというか。この辺の情報は、受講している講義でも得られました。
人間は孤独というのは、おそらく管理人の実家の教育方針なので違和感はないのですが、一方でそれは結局どういうことなのか、ということも考えておかないと、孤立みたいなものに繋がりかねないという危機感もあるんですよね。人間は孤独である一方で、協力も連帯もできるものですし、また社会の構造が孤独を生み出している面もあるでしょうし。まあ自分というものも社会がなければ成り立たないものではありますが、それでも自分を見つめる作業とか自己理解とかいうものは、特に現代社会では必要だと思うんですよね。
昔、某福音アニメ(?)の影響もあって自分探しというものが流行ったことがあるそうですが、そういう閉じこもった感じのものよりは、この世界において孤独である自分を社会との関りの中で捉えなおすというか。サカナクションの『アイデンティティ』とかは、この点で秀逸だと思うのですが、他にもご存じの方がいらっしゃいましたら是非ご教授ください。
・環境責任論
また似たようなところに着地している気がしますが、持続可能な発展と責任論の話です。ちょっとテイストは違うかな。でも、個人的な生活や考え方と環境という視点、資源の話など、共通しているところもありますね。ちなみにこれは書き下ろしなので、去年のように病みながら圧搾したものではありません。いや、去年に比べて普段の病みレベルが上がっているのか? 大人になったんですね(適当)。
とはいえ、考え方はやはり変わっています。環境問題が広がり続け、深刻なものになっていくのを目の当たりにしたときに、これをみんなが自分事として考えられなかったら人類は本当に絶滅するんだろうなと思うんですよね。もう学者が一般人を守るとかではなく、協働によって全員で努力して初めて結果が出るかもしれないとか、そういうレベルなんですよ。もちろん、人類が滅亡しても地球は存在し続けるし、ゴキブリとかクマムシとかが生きているのでしょう。しかし、この文脈で行くと、環境問題が人為起源である以上は人間の都合でこれ以上生物を絶滅に追い込むというのはどうなのでしょうか。
それで、人間が環境を守るために人間のための環境保全をしなければならない、ということになるわけです。豊かな里山の生態系を始めとする環境を、積極的に維持できるのも人間ですしね。そして、その生物多様性の恵み! に生かされているのも人間なわけです。この人間中心の環境保全論というものは、若く志の高い、優しい皆様には胡散臭く聞こえることでしょう。僕も最初はそうでした。でも、2年も環境についてみっちりやっていると、諦めもつくし理解もできます。火星論改め実践環境論ですね。あと、人類って結構可愛いですよ。
・エッセイ「四季」
ブログの日記を引っ張ってきたものです。「毒物と社会学」が「ケシの花」、「透明試論」が「透明試論と素数ゼミ」、「彗星症候群」は同じ題名で、「ドは読書のド」が「宇宙船と冬」です。文量の関係で、多少加筆修正をしていますが、だいたいそのままです。今年も色々ありましたね。そうなんですよ、レイ・ブラッドベリにハマったんですよ。あのレトロフューチャーな世界観、温もりを感じる小物類、論理的な美しさと人間味のある描写、……いやー、いいですね。以前、村上春樹フィルターが貼られた窓がある喫茶店に行きたいという話をした気がしますが、椅子とかソファーとか机はブラッドベリ家具店で揃えてほしいですね。
ということで、『窓辺に於ける思考』の解説でした。今回は、挿し絵のほうにはあまり解説が要りませんね。題名の通りです。幸福、ユートピア、夢、未来、愛……完璧なんじゃないですかね。多分。いえ、愛だけなんかこれそのものに両側面が見えるような気がしないでもないですが、今回は置いておきましょう。最終ページの挿絵は「彗星症候群」と「ドは読書のド」に関連していますね。以前の日記に貼った彗星ちゃんと、アナザーマドラーの絵です。こう見ると、マドラーズって白衣がないと毛を刈られた羊みたいですね……白衣は偉大。
あと、実はこのブログは一回投稿して、すぐ半分くらい消えたんですよね。Twitter で嘆いているのを見かけた方もいらっしゃるかもしれません。何をやらかしたかというと、スマホで途中まで書いて、パソコンから編集して投稿して、またスマホで編集したら前の画面が残っていて、それで保存したらパソコンで編集した分がまるまる消えたという……。みなさんも複数端末で編集する際には、一回一回きちんと編集画面から投稿ページに戻りましょう。
そういえば、これは蛇足なんですが、冬は献血する人が減るらしいので皆さん献血に行きましょう。お前が行けよという話ですが、管理人は例の気絶した話の後、今度は貧血で引っ掛かったのでしばらく行けていません。というか、あれ以来痛いのがまたダメになってる気がするので、また機会があれば……ハイ。いえ、協力を呼び掛けている方の前を素通りする度に申し訳ない気分になるので、頑張ろうと思います。行かないなら宣伝でもしておかないと何だか申し訳がつきませんので、勝手ながら蛇足でした。健康に気を付けて献血に行こう!
それではまた。
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