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実践自認論

  前向きな呪い。

 どうもこんにちは、意識低い系マドロイドです。

 自認と行動の話。


 皆さんは意識高い系ですか? いや、高かったらタイパも得るものも何もない、こんな変なブログを読んでいらっしゃらないかもしれませんが……しかし管理人のリアルな環境には、学部の特性上か本物の意識高い系の人々が居ます。(少なくとも管理人の観測範囲では)自虐みたいな皮肉を言うこともなく、素直に節電をしリサイクルを心がけ、環境学をまっすぐに捉えて人々と社会の幸せを願い、前向きに世界は良くなると考えている感じの人々です。まぁ割合としては、何となく入学して公務員とか目指してる人の方が多いと思うんですが、こういう人々も居ます。ワァ……

 対する管理人は、意識低い系です。基本的に横着で、洗濯物を畳むロボットが欲しいと思っています。あと書類を整理するロボットと、閉め忘れた引き出しをいちいち閉めてくれるロボットと、定期的に布団とカーテンを洗ってくれるロボット。理想はやたら高いし、それをなんとか実現させようと日々頑張って暮らしているようにも見えるのですが、なんか結局諦めて実践論とか言っている人間です。理想的に生きるには本体のスペックが足りないというか、見えている範囲の現実が狭いというか、真の意味での真面目さが足りないというか。その限られた範囲でも理想を体現するのが幸福という思想を持っていますが、いかんせん実践論に落とし込まないとやっていられないことも多いため、しばしば苦しんで泣くようです。力が欲しい。

 しかし、この願いは意外と簡単に叶えられます。ボールとか金貨とかをコレクションする趣味はない一般人ですが、旅も修行も暴力もなしで簡単に手に入れられる、願いを叶える魔法のアイテムがあるのです。何を使うかというと、これが前向きな呪いです。これを推進力にすることで、本来なら高2から引きこもりになりかねなかった人間でも、まともに大学に通えます。すごい! 


 皆様も気になっているところでしょう。前向きな呪いとは何か? これは別の言い方をすれば、ポジティブな自己暗示です。例を出したほうが分かりやすいですね。例えば、管理人は、比較的「良い子」キャラで生きてきました。優等生ではないんですが問題も起こさず、大人しく言われたことをやりルールを守るという生き方です。まあ高校生の頃は色々ありましたが、校内を裸足で歩いたり学校のサイトの乗っ取りをしたりということはしていなかった(某高におけるエキセントリック少年少女枠ではなかった)ため、多少出来が悪くマークされていたにしても、そんなに危険視はされていなかったはずです。這いつくばって虫が歩くのを眺める程度で済んでおり、危ないことはしていません。いや、それが関係なくてもマークされてたなら問題児では? いえ、今回外部評価より重要なのは、自認いい子であり、そのように行動していた(つもりだった)ということです。

 このような前向きな自認を肯定してくれる現実世界のアイテムが、なんでも「前向きな呪い」になり得ます。現在の管理人の筆頭アイテムは、成績優秀者でしょうか。大学というところは意外と成績至上主義な面があり、各大学で GPA(とそれに類似する評価基準)が大活用されています。GPA というのはグレード・ポイント・アベレージの略で、各科目の成績評価の数値(グレード・ポイント)の平均です。幣学の例ですが、これで留学とか奨学金とか進学とか研究室配属とかコース分けとかが全部決まります。便利! で、これで一定以上の水準に達すると、成績優秀者になれるわけです。高校まではこういう分かりやすい褒められが発生しなかったので、大学に入ってからはこれを活用し、自己肯定感を高めつつ大学生ライフに励んでいます。学生番号が張り出されて学部の人にバレるので、なんか研究室選びとかで警戒されてる気がして若干居心地が悪いですが、学費はお得だし分かりやすいし、狭い世界では強い呪いです。

 一方、本来の管理人の信条からすれば、自身の理想と目標を達成することが幸福であるため、こんなものは必要ないはずであるともいえるんですよね。では、なぜ前向きな呪いが必要なのか。これは冒頭でお話しした通り、管理人の根が不真面目であるからです。だいたい、我々は毎日好きな時に好きなことをできるわけではなく、なんか書類を出さないといけないこともあるし、TOEIC を勉強しないといけないこともあるし、衣替えをしないといけないこともあるし、いつもより早起きをしないといけないこともあります。これらはやりたいと思ったり習慣として自主的にやったりしてはいますが、時々発生するプラスアルファのことか億劫なのです。これを実現する方便が「いい子」であり、その前向きな呪いである「成績優秀者」な訳です。本当はディスクで英語を脳みそに直接インプットしたいし、服はボタン一つで全部入れ替わってほしいのですが、そうもいきません。

 しかし、これはやはりいい子の皮を被っているだけではあるため、その下は意識低い系であり所詮は虚勢です。そもそも学業成績は本人の素行の良さとは必ずしも比例しません。そのため、ナチュラルボーン意識高い系や本物のいい子に対して、劣等感というか分不相応さを感じたことによる無力感を味わうわけです。そもそも管理人は「バカではないがアホ」みたいな評され方をしたことがあることからも、おそらく何かが抜けているタイプです。この前は、風呂場の蛇口から(想定される動作を行っても)お湯が出ないことを仕様だと思い込んで納得していたことについて、仕様ではなく単純におかしいのではと指摘され、それに納得して自分の思考のおかしさに気付きました。悲しい。それでも自認だけは優等生で居なければ何もできなくなってしまう気がするので、呪いの方向性がちょっと違う気がしても、薄目で見てそれを根拠に日々頑張って意識を張り巡らせて生活している訳です。

 そもそも、自認○○という話自体がおかしいことのような気もします。自認というものは自ら認めるものな訳ですが、本来のひととなりというか性格は他人が評価するものであり、自分が思っていることはだいたい思い込みです。その人がどういう人かという表現は完全な客観である他人のみができることであり、自分が思っている性格というものは、はおそらく単純な目標か他人に隠していることです。自分の中の目標と他人の評価が一致していればいいのですが、そうでなく自分が一人で思っていることは、どこかに歪みを生じるものです。というか、自分の性格を自覚している時点でそれが性格と言うか方向性に影響を及ぼしているのではないでしょうか。いえ、そういう話をしてはいるのですが、本来の性格である純粋な他人からの評価、自分の思い込み、自分の思い込みと他人の評価が一致している部分、は全部別物では? という話と、したがって自分が思っている自分像は必ずしも自分と一致しないし、純粋なひととなりは自認と一切関係ないはず、という話です。

 だから、本物の意識高い系が羨ましいわけですね。管理人もぱっと見は似たようなことをしていると思うのですが、その動機はほとんどが自分で構築してきた理論であり、その結果がたまたま意識高そうに見えるだけです。管理人はよくある(?)「気づき」という体験がなく、最初から「こう在ろう」みたいな方向性作りによって理論を進めてきました。要するに、管理人は外観は意識高い系である可能性があるが他人には基本的に意識が低いことを隠しており(自分が思っている性格)、しかし理想を大切にするために前向きな呪いが肯定してくれる自認を利用しているということです。ちなみに、自分の思い込みだけの評価は自任というそうですね。自認を冷笑するわるいいんたーねっとの影響で、「自認」の評価が「自任」に寄っているんだろうなという気はします。


 ただ、自任の性格でもそれを自任してはいないのはまだ健全で、「自任『自任○○』」みたいなのが一番厄介なんだろうなとも思います。これは管理人ですね。ただの自任○○はほぼ自分の意識と他人の評価が一致しており、本人の意識は本人=○○、他人の評価は本人=自任○○だったとしても、ほぼ自認○○といって差し支えないでしょう。本来の性格というものも、言及されないだけでこんなことはしょっちゅうあるはずです。本人の意識が「私ってサバサバしてる人」で周囲からの評価が「サバサバ振る舞っている人」であれば、他人に自任の意図が伝わっていてそう評価されているということであり、行動に一般的な慎みさえあればそこまで問題にはならないはずです。本来は本人の意識がなく、周りの視点・評価のみによって「サバサバ振る舞っている人」であることが純粋な性格なのでしょうが、結果部分(他人の評価)が同じなら問題はないでしょう。

 これが、自分の満足のために本人=○○の実現を優先しすぎることで、他人からの評価が本人=わざとらしい・過剰な○○となり、本来の本人らしさ(性格)を越えた○○、つまり自任○○になると、多少の歪みが生じます。具体的には演技過剰な人間として対人関係に何らかの困難が発生する可能性があります。しかし、当時者は自分のことを○○だと思い込んでおり、それ自体を客観視しているわけではないため、他人の認識も本人=○○だと思い込んでおり、形式的には自認(自他ともに認める)○○ということになっているはずです。

 一方、「自任『自任○○』」になってくると、本当は自分が本来は○○ではないことを客観的に分かっており、それでも○○を自任している状態です。これも、外からの評価が単純に本人=○○である段階と本人=自任○○である段階を含んでいますが、「自任『自任○○』」の場合は本人=自任○○の段階と自分の認識が一致します。つまり、客観視のし過ぎという訳です。こうなってくると、特に他人からの評価が本人=自任○○だということを理解した場合に、純粋な思い込みである自任○○よりも歪みが大きくなり得ます。自分は本当はそうではないことを分かっている、でもそう思い込まざるを得ない、さらに他の人も純粋なひととなりではなく単なる自任であることに気付いている、ということになったとき、もはや他人の目線を共有している自分が自分の中に存在していないような感覚に陥るのではないでしょうか。


 というか、管理人がそうです。管理人の場合は「本人=自任○○だと思われているのでは?」という懸念になっていますが、要するに自己を自己だと肯定する手段が減っていくわけです。純粋な自任=○○は、(勘違いであったとしても)他人に○○だと思われていると感じる、また○○だと言われることで、自分の目標や思い込みが評価によって肯定されていきます。自任でない本来の性格も、他人に肯定されることで自分でもそう思うようになり、同じように自己肯定されていきます。自認の自分の姿は、自己と他人の相互作用によって肯定され、その人の中で健全に育っていくという寸法です。

 しかし、「自任『自任○○』」は、場合によっては他人からの○○という評価が予め否定されており、さらに自分の方向性としては○○であることもあって○○以外の評価も否定しかねず、どんどん厄介なことになります。最終的に、自任=○○の思い込みが欲しいために、自認○○を肯定し得る前向きな呪いを探し始めるということですね。他人からの「こういう人」という評価を信じられないというか認められないので、より確実な、形式として確立されていて、誰にでも同じように示されている称号を身に着けたい訳です。最近の流行でいうと、MBTI でしょうか。まあ血液型占いとか昔からあったそうですから、無意識に「自任『自任○○』」を感じている人は多いのでしょう。一方、こういうものを見て困ったように「そういうのって、どうなのかな……?」という人々も居ますが、これがおそらく本物の意識高い系・いい子であり、他の人々の性格もひととなりとして存在しているものであり、他人からの評価に惑わされなくてもよい、と思っている人々です。泣いちゃった!!!

 とはいえ管理人も、前向きな呪いは万能だとは思っていないし、上手いこと活用して社会で生きていけるなら自任「自任キリト」でも自任レゼでも、自認サバサバでも心にギャルを飼っても何でもいいと思っています。また実践論ですよ。どう頑張ってもナチュラルボーンいい子にはなれないし、他人の評価と自分の評価を混同して自任を客観視しない部分の自分の存在すら肯定できなくなっていますが、日常生活が送れるなら社会的に許されるのだからいいのでは、という話です。別に社会で生きる上で純粋な自我は必ずしも必要ではなく、単なる境遇レベルでも重ね合わせて共感したり、自我としては虚構である前向きな呪いを自任に活用したりして、実際の表面上の活動に関して一定の体裁が保てているのであれば、純粋な性格も自認○○も自任○○も自任「自任○○」も大した違いではないでしょう。一般的な性格が純粋な性格を指しているため自任・自認シリーズは何らかの歪みを発生させるものだとしても、それが社会生活上問題にならなければいいのです。実践自認論といえるでしょう。


 ということで、管理人のような自我→自任・自認シリーズであっても、多少の歪みを内包して悩んだり苦しんだりするだけなので、前向きな呪いでもなんでも活用して頑張って生きていればそれでよいのでは、迷惑をかけていない他人にとやかく言われる筋合いもないし苦しむのも自由である、という実践自認論でした。前向きな呪いを使いながら騙しだまし自己実現を図り、なりたい自分になった気になって、どうにか生きていくんですね。

 昔、「自分探し」というものが流行った時期があったそうですが、やはり社会に生きて様々な人生を目の当たりにする人々は、自認とか自分とかを意識せざるを得ないのでしょう。近年は情報化もあり、住む世界が違う他人の生活が1日のスケジュールが雑誌に載っているレベルではなく、何をしているかリアルタイムで分かってしまう時代です。他人に評価される何らかの自我に接する機会が増えれば、自分のことも気になってくるものだろうと思います。この時は一旦客観視の立場も挟みますが、どのくらいの人がここから自任に踏み出すのでしょうか。自他の境界とか本当の自分とか、難しいことですね。しかし、他人でなければ自分だろうし、思い込みでも自認でも素面でも、自分の頭で考えている自我が全てなのでしょう。

 もっと昔には「変身」というものも流行ったそうですが、かりそめの姿であっても本当の自己実現であっても、「こうありたい」「こうなりたい」という前向きな願いが一番の推進力になるのでしょう。そもそもこれがなければ、前向きな呪いも生まれません。平凡なアイテムに魔法をかけるのはまた、平凡な願いなのでしょうか。しかし、このような願いはまた、自分の制限にも繋がる可能性があります。希望はそのうち義務になりがちです。希望を下手に現実の何かしらで補強すると、その補強によって義務になり、結果的にその補強が呪いになってしまうことはあるでしょう。この辺はほとんど本人がどう思っているか次第ではありますが、他人にも分かりやすく見える補強があることで、その分だけ補強される希望・自認は命題になっていきます。強い人がこれを利用しろとか言っていることもありますが、呪いは呪いだよなとも思います。


 ということで、前向きな呪いによる実践自認論の話でした。最近の管理人は、腹を括って頑張って論文を書いています……呪いもハサミも使いようで……あ、もう自認温泉とかで生きていこうかな。最近寒いので、皆様体調にはお気をつけて。


それではまた。

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