ダイバーシティのユニフォーム。
どうもこんにちは、量産型マドロイドです。
人間の画一化と多様性について。
生物学的には、人間は全て「ヒト」という種類の動物であり、しかし塩基単位で多様性を持っています。
社会的には、人間は全て人間という存在であり、しかし個々で多様性を持っています。
このように人間は、完璧に画一的であるとは言えません。しかし社会的には、人間にはある程度の画一性は絶対的に必要なのではないかと考えます。
人間がこの限られた地球とかいう狭いスペースでこれから先も暮らしいてくためには、画一化による調和が必要です。これは、生物学的にではなく、社会的、精神的な観点からです。
地球上では、古今東西至る所で人間が争いをしています。その原因の多くは、宗教から人種、歴史など、自分たちと違う種類の人間が居ると互いに思っているから発生する問題です。同じ種であるはずの人間が相手を「自分と違う」と思い込み、その人間が同じ社会を形成する地球だからこそのものです。文化が画一化されれば、これらの問題は無くなるので内戦の類いは無くなるはずです。本格的に言及するのはまだ控えますが、ウクライナ情勢も「ウクライナ人」と「ロシア人」が居るので起こっているわけで、これも「地球人」がやっていると思うと…(以下略)。(この辺りに関してはこの問題が収まって熱が引いてからから考えを述べようと考えているのですが、思ったより長引いているのでまだ待っています。)全人類は「地球人」と互いに認識することで、人類は調和しきった社会を形成することができ、これは未来の理想的な社会の姿だと言えるでしょう。
広い宇宙の片隅の銀河、その太陽系の一つの星である「地球」に生きる人類がこれからも生き延びていくためには、まず同種での争いを無くすことが必要です。そのためには人類は画一的になるべきであり、もしくは画一だと見なされるべきなのです。
ここまで画一画一と言っていると叩かれそうなので、僕なりの多様性の容認についての考えも述べておきます。
また生物的な話をするのですが、生物としての個々の人間は前述したように、全てに於いて全人類が画一的な存在になる、クローンになるようなことはできません。要するに、「多様であること」は人間にとって大前提なのです。(この考えがあるからこそ僕はさっきから画一画一と言っているわけであり、もし前の段落を読みながらけしからん奴だ、と思った方は僕と根本的に思想が違うようなので、今からは上記のことを把握の上で読んでください。)人間にとって違っていることは当たり前であり、この初期プロットがあっての「画一化」の重要性の主張なのです。
しかし、全ての「多様」に対応することはできません。また「多様であること」が大きくアナウンスされすぎている現代では「多様であるという画一化」が起こっているようにも思います。また、グループになっている多様性集団(国の意識とか)は厄介なものであり、争いの原因になりかねません。このように極端な多様性は画一化されるべきですが、潜在的、基本的な多様性(社会的な所だと個々の人間の性格などという単位のもの)は、これからも尊重されるべきだと思います。ある程度は画一的でないとシステム的に回らない社会を作ったのは人間ですが、多様性がなければ続かない世界に生きているのも人間なのです。
ここまで言っておいてなんですが、積んだ積木を崩して喜ぶ程度の人間なので別の意見も言っておきます。
歴史や伝統という概念は、僕の主張する「画一化された人類社会」の実現を妨げるものですが、無くなるべきかと言われると、(個人の趣味により)そうでもないと答えます。むしろ好きです。別にあってもいいと思います。ナショナリズムもそれ以外での帰属意識も、概念的にはとても面白く興味深いものです。時間という一定の流れに乗った人間が行動し、思考して、その積み重ねで形成される歴史や文化、伝統というものはそれの存在自体に価値があると思います。何世紀と煮詰められた闇鍋には、それがどれだけ腐敗していても不味くても、それがずっとそこに「有る」という事実の存在により、人間を惹き付けて従属したいと思わせる力が宿っているのです。しかし、この闇鍋は「自分は何だ?」と問う人間への最適解としての親和性が高いので、固執することは危険です。あくまでそういう意識はそういう意識、自分はどう足掻いても皆と同じ人間である、という認識が大切だと思います。でも、哀れな可愛い人間には(それが虚空のものだとしても)心行くまでその信条のもとに戦う権利があるのでは、と考える自分も居ます。それによって人類がいつ滅びるとも分からないし、それに意味はないかもしれませんが、皮肉なことに行動としては人間的ではあるのかもしれません。
でも、やっぱり平和な方がいい人の方が世の中には多いと思うので、その実現のためにも画一化を目指しましょう。一人一人が心持ちを変えるだけで形成される(はずの)、簡単で優しい世界ですから。
〔今日の英訳〕
When it comes to thinking about human as a member who form a society, I think that it is essential for them to become uniform.
(しかし社会的には、人間にはある程度の画一性は絶対的に必要なのではないかと考えます。)
それではまた。
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