スキップしてメイン コンテンツに移動

ザイクロトラン

 イア!イア!

どうもこんにちは、ザイクロトルからのマドロイドです。

僕が絶賛癲狂している対象のクトゥルフ神話生物、ザイクロトランについての話。ザイクロトランと「妖虫」についてのネタバレ注意。


 CoCプレイヤーの皆さん、クトゥルフ神話ファンの皆さん、皆さんの好きな神話生物、神格は何ですか?

僕は断然ザイクロトラン(ザイクロトルからの怪物)です。

ルールブックを買って初めて読んだ時に見て以来、信者をやっていると言っても過言ではないです。とは言っても彼らは下等の独立種族であり、神格でも何でもないので信仰してもどうしようもない、むしろ近付けばエサにされる可能性すらありますが…。

それにザイクロトランは、ニャルラトテップのように作者に都合よく動く訳でもなく、ミ=ゴのように積極的に侵略に来る訳でもないので、シナリオに出しにくいのか殆ど見掛けることがありません。…探索者がこんなカルティスト擬きではKPも困るでしょうが…。それにしても、好きな神話生物に未だ会えていないのは悲しいことです。

そこで僕は、ルルブに掲載されていた説明の出典である小説「妖虫」を読むことにしました。しかし、ここにまた悲しい現実が存在していたのです…。


 「妖虫」はざっくり言うと、シャッガイからの昆虫の放浪の歴史やその信仰の様子がメインの内容になっている小説です。ザイクロトランはシャッガイからの昆虫の奴隷にされているので、話の途中でその経緯や働きについて述べてあります。

その中にザイクロトランについての描写があるのですが、これが問題なのです。何が問題かというと、同一箇所を訳したであろうルルブと訳が違うのです…。


『「もう少しでぶつかるところだった、と私は思った。 金属的な灰色の木だった……高さは約16フィートあって、 太い筒のような枝がついていた……筒は根元のところで 6本の平たい根のようになって分かれている。 これはただの自然の形なのかもしれない。 木のてっぺんについている枝の奇妙なまん丸い並び方も、はやり自然の形が偶然そうなったのだと説明されているのかもしれない。しかし、私のすぐそばの枝が、 突然つかみかからんばかり の勢いで私の方へ伸びてきたことは、とても自然のこと だとは言えないだろう。 しかも、木の梢だと思っていたてっぺんから、目鼻のついていない楕円形のものがいきなり顔を出したことも……楕円形の上部に穴が開いていることも。」


ラムジー・キャンベル 「妖虫」』


これがルルブの訳です(『クトゥルフ神話TRPG』(KADOKAWA)から引用)。

一方、小説の中のこの部分の訳はこちらです。(『新ク・リトル・リトル神話体系9』より、ラムジイ・キャンベル(訳:山中清子)『妖虫』から引用)


『わたしはもう少しで金属のような灰色をした木にぶつかるところだった。この木は森の他の樹木の平均から見ても小さく五メートルばかりの高さで、枝は非常に太い円筒状をしていた。しかも幹が地面に近いところで二つの円筒になって分かれその円筒の下端がさらに六つの平たい円盤になって伸びているのに気がついた。これは単に自然に生じた奇形だったかもしれない。とすると、頂に幾本かの枝が正確な円形をなして並んでいるという奇怪さにも同じ解釈が成り立ったのかもしれない。しかしその時は、そんなことを考えている余裕はなかった。一番手近かにあった枝がいきなりさっと伸びて、わたしに掴みかかってきたのだ。幹だと思っていたものの天辺からは、ノッペラボーの卵みたいなものが現われ、わたしの方へ屈みこんできた。その頂点には、ぼっかりと大きな穴が口をあけている。


ここで、ザイクロトランの外見に関する記述で同じ位置にあるものについて、共通して述べられているものを灰色で、省略されていると思われるものを青色で示しました。ルルブの訳は所々が抜けていることが分かります。

なるほど、この訳だけを見て読むと小説の描写に違和感を感じるわけです。特に、省略されたまま繋がれている幹と枝の描写は、ルルブでは一部が無いためにまったく違う捉えられ方をされても不思議ではない記述のされ方になっています。

原文を読んでいないのではっきりとは言えませんが、ルルブの説明文では、ザイクロトランについて作者の意図する外観を想像できないのではないでしょうか。実際、ザイクロトランのイラストは枝の先に円盤のようなものが付いていることが多いですが、小説を読むと足にあたる所が円盤状であることが分かります。確かに初見こそ「木」に見えたように書かれていますが、その後は「ノッペラボーの怪物」などという形容が見られ、このことからも下部は根ではなく足のような形状であった方が自然だと考えられます。

そこで、小説の訳に則ってザイクロトランを描いてみました。表現力が無いので伝わらないかもしれませんが、個人の見解ではこれがザイクロトランです。アナログなので見にくいかもしれませんが…。

それにしても原文が欲しいですね。どこに行ったら売っているのでしょうか。もしかすると、まだ読んでいない他のクトゥルフ神話の小説にはまた違った描写があるのでしようか。早く本当のザイクロトランに会いたいですね…。


〔今日の英訳〕

What is your favorite legendary creature or divinity on Cthulhu Mythos?

(皆さんの好きな神話生物、神格は何ですか?)


それではまた。


P.S.

 「ザイクロトルからの怪物」と「ザイクロトラン」は違う、との主張も見かけます。確かに「ザイクロトル」は星の名前であり「ザイクロトルからの怪物」が一番正しいかもしれませんが、僕が読んだ本では「ザイクロトルからの怪物」とは書かれておらず、「ザイクロトル族」、また単に「ザイクロトル」と書かれていました。

英語の接尾辞としての"-an"は「~人、族」という意味なので、「ザイクロトラン」=「ザイクロトル族」となります。地球という星に住んでいる支配種族の人間を「地球人」と呼ぶようなものだと思うので、個人の解釈ではザイクロトル星の(元)支配種族であった怪物を「ザイクロトラン」と呼んでも差し支えないのではと思います。

コメント

このブログの人気の投稿

  管理人の愛は重いらしい。時々言われるので、そうなのだろう。しかし、80億の人間ともっと多くの生物、地球環境、それに自分のと他所の創作キャラの絡みなんかを丸ごと愛せるレベルでなければ、管理人は環境屋をやっていけないようにも思う。ただ、これは別に無理に愛を作り出している訳ではない。愛とは何か。これは、考えること、思うこと、想像すること、形にすること、すなわち思想だと思う。  哲学がフィロソフィア、すなわち知を愛することであるように、愛とは原動力である。そして、哲学という営みの根本にあるのが人間の考えるはたらきであるならば、愛は人間の思索であり思想だろう。何かを考えているとき、そこには何かしらの愛が発生するのではないだろうか。  もしそうでなければ、その時には人間として精神的な危機の状態にあるのかもしれない。何かを積極的に考えて想像することは、人間に特有の行動だ。その原動力が愛なら、愛がなく限りなく機械的な情報処理に近い思考は、人間的ではないだろう。それはおそらく、ほとんど受け身に何かの様式に則って考えている、もしくは生物としての本能に従ってプログラム的に動いているに過ぎないのだろう。  そして、そのような思考を形にすることで、愛はきっと確立される。思考といっても、思想として纏まらない考えや、自分の中に秘めている想いというものもあるだろう。それらが全くもって愛ではないとは言えないとは思うが、やはり何かしらの表現によって形にしなければ、対象に示すことができる愛にはならないのではないだろうか。  愛には形がある。それは、思想を思想として表現できるということである。もし表現できない思考があったとしたならば、それは場合によっては恋なのかもしれない。恋は一方的だ。そして、形をとらない思考、すなわち原動力の源は高カロリーなエネルギーに近いのではないだろうか。恋とは動力源であり、エンジンに対するガソリンである。それ単体では危険で、扱いづらい。しかし、爆発的な可能性も持っているのだろう。  以上から、愛とは思想であり、地球環境と生物のために考えている管理人の愛はやはり地球規模である。1人の人間として、愛していたいと思うし、愛されたいとも思う。贅沢を言えば、誰かの思想を、愛を尊重したいと思うし、自分の思想も誰かに大切にされてほしいと思う。 __________________ ...

窓辺のバレンタイン2025

 ハッピーバレンタインデー!  どうもこんにちは、クッキーマドロイドです。  バレンタインの話。  みなさんチョコ食べてますか? バレンタインですね。管理人は昨日クッキーを大量に作り、チョコを作り、今日は配った残りを食べました。いやー、合法で甘いものを大量に作って食べられる日というのは素晴らしいですね。年に1回くらいあってもらわないと困ります。ホワイトデー? バレンタインに貰えるわけではないので、管理人にはないです……ハイ。  それはさておき、今年も皆様にバレンタインイラストがあります。2025年はパラレルヘーチラグです。  これはヘーチラグのパラレルですね。Twitter にも載せてますが、こちらではその設定や裏話などを語っていこうと思います。まずヘーチラグですが、ついでにここにも載せておきましょう。  こういうキャラです。モチーフは魔法少女(概念)ということで、それぞれ若干不完全な魔法少女をイメージしてデザインしています。サブ要素は芸術家ですが、メインは魔法少女です。オルトは魔法少女擬きって感じですね。キャラ設定を引っ張ってくると、こんな感じです。 名前/正式名称 イメージカラー 武器 好きなフレーバー 一人称/二人称 「自己紹介」 「喜怒哀楽」 喋り方の特徴など (対戦ゲームのキャラだったら?) 「上限解放」 「勝利」 「敗北」 戦闘スタイル ヘーチラグ/Hétillag 暗いオレンジ(明るい茶色) ステッキ アプリコット 私(わたし)/君 「ヘーチラグです~よろしくお願いします!」 「え~やったー!」 「えっ……えええ……?!」 「そんな……そっかぁ」 「すっごーい!!」 語尾は若干伸ばし気味、ちょっとふわっとした明るい口調。 「そろそろ本気でいくよー!」 「お、やった! 嬉しい~!」 「あー、やっちゃった。お疲れ~」 ステッキで殴る近接攻撃。一撃は軽いが連続で攻撃する。素早さは高め、体力はそこそこ。 遠隔攻撃(ステッキの投擲)。投げたステッキを手元に回収する魔法だけ使えるらしい。  ステッキを投げてる時点で、まぁ魔法少女ではないですね。Twitter と pixiv に載せた画像では、ステッキを振りかぶっているものもあったと思います。魔法少女にも色々ありますが……とにかく、そういうところでちょっと印象を...

日記:宇宙船と冬

 高校1年の冬、友達に勧められたのがきっかけでレイ・ブラッドベリを知った。彼は蔵書から短編集を一冊貸してくれたので、それを読んだ。題名は忘れてしまったが、年季の入った文庫本特有の儚さというか、軽やかさと繊細さと重さを凝縮したような本だった。うーん、題名……ざっと著作を調べたところ、『10月はたそがれの国』が印象としては一番近い気がする。  そういえば、夏には 「異邦人と夏」 という日記も書いていた。カミュの印象は夏だが、ブラッドベリの印象は冬らしい。白い霧がかかったような、薄い散乱光で満たされた森の中、ひんやりと冷たい空気、木々の暗い影と足元で音を立てる乾いた落ち葉と、下り坂の向こうの透明な茶色の沼地。そういうイメージがある。昔読んだ本の内容もほとんど覚えていないし、今読んでいる本もまだ途中だが、イメージは変わっていない。  俺は何を勧めたっけ。残念なことに、そういうことを書いていたスマホのメモ帳が機種変更をしたら空になってしまった。『ブンとフン』とかだった気がする。どうしてこんなに人を選ぶ本を勧めてしまったのか理解しかねる。確か、『虐殺器官』、『きつねのはなし』も勧められて読んだ。あとは何だろう。非常に印象に残っている話もあるのだが、題名が思い出せない。内容を言ってしまうとネタバレになるので言えない。  しかし、何だったんだろうな。分からない。ただ、大学に入ってみたら、周りの人間に読書家が大勢いた高校時代は非常に恵まれていたことに気付いた。読書というのも膨大な数がある趣味の1つであって、大学生でも図書館では勉強しかしないとか、参考文献しか読まないとか、そもそも図書館に行かないとかいう人も案外多い。  広大な本の世界で、自分の知らない扉を教えてくれる友人というものは有難い存在だったのだ。そのことに気付けていなかった。あと、今見れば非常に好みの分かりやすい選書をされていると思う。この嗜好に合いそうな本を自分が知らなかったのも、今になって残念に感じる。今の自分なら、彼にどんな本を勧められるだろうか。  なるほど、読書というものは時間がかかり、タイパ至上主義の現代人には敬遠されるのかもしれない。でも、読書で深まる世界があり、読書をする人との交流で広がる世界がある。著者の数、本の数、読者の数だけ世界がある。こういう情報は時間というコストを払ってでも手に入れたいものだと思う。...