Environment
どうもこんにちは、持続可能なマドロイドです。
環境についての意見。皆さんお久し振りです。当方は第二回考査が終わり、これから夏休みまでは少々余裕が(あるわけではなく)無いことはない空白の(とも言えないが目立った行事はない)期間になっています。
しかし、夏休みとはいえガッツリ課外と部活と講習と行事の準備があるので休みというものは盆くらいしかないのですが、やはり勉強しないといけないのでそのスタートダッシュの期間であるべきだろうと思います。
それにしても、早い梅雨明けから夏本番と言えるような陽気が天気予報にも並んでいたかと思えば、今度は台風が来るようです。ジメジメしますね。
それにしても、早い梅雨明けから夏本番と言えるような陽気が天気予報にも並んでいたかと思えば、今度は台風が来るようです。ジメジメしますね。
夏と言えば暑い、暑いといえば温暖化(危険な三段階)。そう、環境問題の代表格です。
ということで、今日は環境問題とその周辺の意見、また個人的な将来のビジョンについても少し書いていきます。
そもそも環境問題ですが、これは大変広い言い方です。温暖化もそうですが、森林の破壊や外来種の侵入などによる生態系に関わる問題から、資源不足や水不足、大気汚染などによる(主に)人間が被害を被る問題まで様々あります。
しかし、広いが故、分からないことが多いが故に、この環境問題が問題になりうるのではと思います。名付けるなら環境問題問題です。これは、「環境問題」によって引き起こされる、その周辺の問題を指します。長いのと混乱するので、略して"KMM"(Kankyo Mondai Mondai)としておきます。
第一のKMMは、環境問題が「問題」として簡単に色々な物事に応用できることです。
最大の例は、やはり地球温暖化でしょう。地球のために、という大義名分を掲げられて各所で活動が行われているこの現象ですが、広く表に出る分に関しては圧倒的に
- 企業の販売促進、イメージ向上
- 学生の作文(思考練習)と文章題
- 政治家の話し合い、仕事
こうして問題がテンプレートと化していくことで、その本質や目的、本来の姿が疎かにされていっているように思います。情報を見る際には、誰が、何について、どのような意図で発信しているかを確認するのが重要ですが、地球温暖化に限らず環境問題では、その確認が疎かになっていはいないでしょうか。
今の時代のように幼稚園、小学校のレベルから刷り込まれていては手遅れかもしれませんが、はっきりと(謎の因果関係まで)インプットされている状態から一旦離れて、情報を眺めてみることも必要なのではと思います。それができないからネタにもなるし問題でもあるのだとは思いますが…。
第二のKMMは、環境問題についての認識が結局の所それほど浸透していないことです。
これは、本当に「そもそも」という話についてです。「森林破壊」とはどのような状態を指すのか?日本に入っている、日本から出ていっている「外来種」はどんな生物なのか?「大気汚染」とは何がどのくらい汚染しているのか?という類いの話です。
何も全人類に環境学者になれとは言いません。専門科学まで履修しろとも言いません。高校生物/化学基礎、もしくは義務教育の中学理科レベルの科学リテラシー、そして様々な科目で習う情報リテラシーを備えた上で、その「環境問題」の根本の現象について大まかに理解できている、というそれだけのことが求められているのです。しかしこの前提は、意外と強固かつ広範囲のものではないように感じられます。
これは、Twitterその他のSNS(要するに個人が好き勝手に自分の意見を言えるインターネット上の場所)に居て思うことです。「地球温暖化は温室効果が原因で、そのもとはCO2だからCO2を削減しよう」と言える人は多いです。一方で、地球温暖化がそう呼ばれる訳やどのような現象を表しているかを正確に把握せずに、上澄みのその流れだけを何にでも応用できると思っている人も多いです。
これらはお察しのように、前述(第一)のようなKMMを招き、この負のループが続きます。適当なガバ認識は無いよりは僅かにマシかもしれませんが、ほぼ無いに等しいのです。
ここまでKMMについて論じてきましたが、これに関連して個人的な将来とその過程について書いていきたいと思います。
僕の直近の将来にむけての目標は、大学合格です。希望しているのは環境系統の学部です。何故環境系統を目指しているか、そもそもの発端は中学時代まで遡ります。
当時(2019年)、スウェーデンの環境活動家であるグレタ=エルンマン=トゥーンベリ氏による、座り込みやスピーチといった活動が日本でも紹介されていました。それを見た僕は(中学生として)普通に「すごいなぁ」とも思いましたが、その一方で「何をやってるんだろう」とも思いました。(その頃が僕の第一暗黒時代(なお現在、元気に第二暗黒時代を形成中)であり、厭世的で悲観的な、自虐のような雰囲気が頭の中に常に存在していたのも要因ですが、)「こんなことをしても二酸化炭素が減るわけでも、魚が増える訳でもないじゃないか」と思っていました。
皮肉屋でもあったのかもしれません。しかし、自然の豊かな山の中(僻地とも言う)に住んでいる身としては、発言で政治家が動くとも、世界が変わるとも思えなかったのです。当時はプラグマティストか何かだったのか知りませんが、川を掃除してゴミを拾う自分たちと何が違うのか…と感じていたようです。行動に優劣があるとも思えませんが、しかしそう思うのも無理はないでしょう。
そこで僕は「研究者になって環境問題が本当は何なのか調べて、解決への道を探って生き物を守ろう」と思い立った訳です。幼少期から生き物が大好きであり、また科学雑誌をいくつか愛読していたので、自然な進路の方針と言えるでしょう。
それで、現在通う某高校の普通科(大学受験を見据えたため)に進学しました。そしてSSHの制度により充実した実践的な研究活動をできるとの科学部に入部したのはよかったのですが、ここで問題が発生します。
研究班で光に対する魚の反応について調べることになり、どうにか実験までこぎ着け、論文を書くにあたって結論と考察を考えていた時のことです。「魚はこの光に対して逃避行動を示すようなので、河川工事などの際に魚の避難に応用できる可能性が云々」ということを書こうとしたら、顧問の先生に「話を大きくしすぎるな」という指摘を受けました。環境フォーラムみたいなものに出す予定だったのでそのような考察にしたのですが、結局はもっと暈して書くことになりました。
また、次の年(去年度)には、とある水生生物が水質汚染の指標にならないかと考えて実験を行いました。が、途中経過をとある機会に他の学校の科学部と大学の教授の前で説明した際、その教授に「そんな小さな設備で環境に関わる結論を出せると思わない方がいい」との指摘を受けました。「部活でやってる高校生が自分たちのアイデアを生かそうとしたら、限られたスペースと時間と設備でやるしかないんだよ…」とも思いましたが、同時に実験室での「環境」の研究の難しさも認識しました。
このような経験もあり、しかしそれでも環境についての勉強をする学部への進学を望むのは、根本にある「自然が好き」という気持ちと、「環境を考える、ということについて考える」ことに感じるようになった意義が自分の中にあるからです。
今日の前半で呟いていたように、また高校の部活で思ったように「何のために環境について考えるのか、環境問題とは何なのか」を研究することも、科学的な研究と並んで必要なことだと思うのです。文系っぽいですが、倫理と専門生物を履修している身としては、(これも過去の投稿で書きましたが)学問に文系も理系もなく、とくに環境に関しては二つの分野の融合が求められるのではないでしょうか。
大学に進学したら、ぜひその道を探ると同時に、昔の自分が重要視した草の根の活動もしつつ、知見を広げていけたらと思っています。その後もそれを続けられたら最高なのですが、そうもいかないでしょう。植物園の職員になりたいとかいう夢物語もありますが、きっと大学に行けば現実を突き付けられることと思います。余所行きとしては「自然保護官」を相変わらず掲げておきます。
〔今日の英訳〕
The biggest example will be global warming.
(最大の例は、やはり地球温暖化でしょう。)
それではまた。
P.S.
知り合いから「陰謀論者」という批判を受けましたが、僕は「地球が温かくなっている」「温室効果ガスが原因だと考えられている」ことは理解しています。僕が問題視しているのは、それを受けとる人間、情報として利用する人間、回す人間、の意識です。懐疑派もやっていますが、研究者の方々が一生懸命集めたデータ自体は信用しています。結局これも、見方、捉え方の一つでしかないので。そしてこの見方も、最終的にはKMMの問題視に繋がっています。
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