リアルな二次元とアニメみたいな現実の差とは?
どうもこんにちは、バーチャルリアルマドロイドです。
二次元と現実とメタバースについての話。
ふと思ったんですが、最近各種SNSその他で話題になりがちな「イラスト、マンガ、ゲームみたいな現実」って、発想的には逆輸入ですよね。
イラスト、マンガ、ゲーム(テレビゲーム)のようないわゆる二次元の世界は、現実の世界があるから生まれるもので、もともとは「現実みたいな二次元」のはずですよね。でも、それはむしろ二次元の大前提であるので、誰も気にしません。より現実に近い(ように見える)絵が歓迎されがち…という風潮はあれど、「現実に全く基づいていないゲーム」みたいなものの存在については、想像してもよく分からないわけです。
ところで、二次元の世界が現実を基にしていながらしばしば現実より美しく見え、それでいて現実との繋がりも感じられるのは、それらが「現実の一番いいところ」を切り取って繋げてできている、という面があるからではないかと思います。アニメキャラの長髪が綺麗になびくのは、「美しい髪」が「いい感じの風」に吹かれたのを「適切な角度」から見るからです。アニメの一つ一つの動作や現象は細かいところまで分解すれば、多少誇大表現されていたとしても、元々はこの世界に存在するはずです。でもそのアニメが現実より美しく見えるのは、そうやって「現実の一番いいところ」を全て揃えているからです。アニメ(=現実の一番いいところの集合体)のような現実は、もともと現実なのです。現実がアニメみたいですごい!と思うのは、アニメの要素がこの世界から引用したものだったとしても、それが綺麗に揃うのが、アニメでは当たり前ですが現実では当たり前ではないからです。
フランスの社会学者のジャン=ボードリヤールは、メディアによって「過剰に演出された現実」が真実味を帯びた世界、現実以上にリアルな世界を「ハイパーリアル」と呼びました。コピーがオリジナルを凌駕するアニメの世界も、一種のハイパーリアルと言えるでしょう。すると、「二次元みたいな現実」は、コピーに似たオリジナルのような何か、もしくはボードリヤールが言うところの「シュミラークル」と呼べるかもしれません。アニメは現実の拡大延長と言えるかもしれませんが、アニメの延長に現実はなく、しかしアニメのような現実は存在する、という構図からは、「二次元みたいな現実」のある種の逆説性も見えてくるように思えます。
ところで、噂の仮想現実ですが、これは二次元と現実のバーチャルな溝を埋めてくれるのでしょうか。メタバースの世界では、VRな手段で3Dモデルに自分を託し「二次元みたいな」ことを思うようにできるでしょう。美しいグラデーションの夕焼けの海をバックにいい感じの風に吹かれてみたり、いい感じの雲が浮かぶ青空のもとで満開のひまわり畑を歩き、真っ白なワンピースをいい感じに靡かせてみたり、いくらでもアニメやマンガのようなシチュエーションを再現できます。モーションをモデルに組み込んで擬似戦闘をし、自分は一人称カメラで臨場感を楽しむようなこともできるかもしれません。
ただ、メタバースには「実感」が欠落しています。将来これらの光景を限りなく無限に近い画素数で見られるようになっても、潮風を吹かせる装置ができても、VRの経験を実感することはできないでしょう。この先、メタバースの事象を脳で直接体感できるようになれば別ですが、それまでの近い将来及び現在は、まだメタバースを体感することはできません。だからこそ完璧に二次元のようなVRより、多少は不完全であったとしても実際に出現した「二次元みたいな現実」が好まれるのでしょう。しかし、二次元の延長に現実を求めるのはまだ不可能で、それを埋めることができるのが仮想現実だとすれば、それが目指す本当の「二次元みたいな現実」は何が支えているのでしょうか。メタバースが出現させるリアルなパラドックスとしての世界は、そう遠くない未来にあるのかもしれません。
どうもこんにちは、バーチャルリアルマドロイドです。
二次元と現実とメタバースについての話。
ふと思ったんですが、最近各種SNSその他で話題になりがちな「イラスト、マンガ、ゲームみたいな現実」って、発想的には逆輸入ですよね。
イラスト、マンガ、ゲーム(テレビゲーム)のようないわゆる二次元の世界は、現実の世界があるから生まれるもので、もともとは「現実みたいな二次元」のはずですよね。でも、それはむしろ二次元の大前提であるので、誰も気にしません。より現実に近い(ように見える)絵が歓迎されがち…という風潮はあれど、「現実に全く基づいていないゲーム」みたいなものの存在については、想像してもよく分からないわけです。
ところで、二次元の世界が現実を基にしていながらしばしば現実より美しく見え、それでいて現実との繋がりも感じられるのは、それらが「現実の一番いいところ」を切り取って繋げてできている、という面があるからではないかと思います。アニメキャラの長髪が綺麗になびくのは、「美しい髪」が「いい感じの風」に吹かれたのを「適切な角度」から見るからです。アニメの一つ一つの動作や現象は細かいところまで分解すれば、多少誇大表現されていたとしても、元々はこの世界に存在するはずです。でもそのアニメが現実より美しく見えるのは、そうやって「現実の一番いいところ」を全て揃えているからです。アニメ(=現実の一番いいところの集合体)のような現実は、もともと現実なのです。現実がアニメみたいですごい!と思うのは、アニメの要素がこの世界から引用したものだったとしても、それが綺麗に揃うのが、アニメでは当たり前ですが現実では当たり前ではないからです。
フランスの社会学者のジャン=ボードリヤールは、メディアによって「過剰に演出された現実」が真実味を帯びた世界、現実以上にリアルな世界を「ハイパーリアル」と呼びました。コピーがオリジナルを凌駕するアニメの世界も、一種のハイパーリアルと言えるでしょう。すると、「二次元みたいな現実」は、コピーに似たオリジナルのような何か、もしくはボードリヤールが言うところの「シュミラークル」と呼べるかもしれません。アニメは現実の拡大延長と言えるかもしれませんが、アニメの延長に現実はなく、しかしアニメのような現実は存在する、という構図からは、「二次元みたいな現実」のある種の逆説性も見えてくるように思えます。
ところで、噂の仮想現実ですが、これは二次元と現実のバーチャルな溝を埋めてくれるのでしょうか。メタバースの世界では、VRな手段で3Dモデルに自分を託し「二次元みたいな」ことを思うようにできるでしょう。美しいグラデーションの夕焼けの海をバックにいい感じの風に吹かれてみたり、いい感じの雲が浮かぶ青空のもとで満開のひまわり畑を歩き、真っ白なワンピースをいい感じに靡かせてみたり、いくらでもアニメやマンガのようなシチュエーションを再現できます。モーションをモデルに組み込んで擬似戦闘をし、自分は一人称カメラで臨場感を楽しむようなこともできるかもしれません。
ただ、メタバースには「実感」が欠落しています。将来これらの光景を限りなく無限に近い画素数で見られるようになっても、潮風を吹かせる装置ができても、VRの経験を実感することはできないでしょう。この先、メタバースの事象を脳で直接体感できるようになれば別ですが、それまでの近い将来及び現在は、まだメタバースを体感することはできません。だからこそ完璧に二次元のようなVRより、多少は不完全であったとしても実際に出現した「二次元みたいな現実」が好まれるのでしょう。しかし、二次元の延長に現実を求めるのはまだ不可能で、それを埋めることができるのが仮想現実だとすれば、それが目指す本当の「二次元みたいな現実」は何が支えているのでしょうか。メタバースが出現させるリアルなパラドックスとしての世界は、そう遠くない未来にあるのかもしれません。
P.S.
投稿再開万歳!
どうもお久し振りです、マドロイドです。
厳しい寒さも和らぎ始め、そろそろ多肉の植え替えの季節ですね。こちらでは引き続き、趣味の事や考えたことについて文章を書いていきたいと思っています。今年はこのブログの題名に冠する「旅人」っぽい投稿にも挑戦したいと思っています。でも大学生ってすごい忙しいらしいですね…。費用の問題もありますので、あまり期待せずにお待ちください。やる気だけはあります。
また、受験のストレスと思想の醸造の効果でロルバーンのメモ帳に溜まっていった評論擬きが色々あるので、それをこちらで清書して投稿していきたいと計画しています。今日の投稿も、もとネタはメモ帳からとってきています。
それでは引き続き、科学屋兼思想趣味屋の雑記を宜しくお願いいたします。
(え、今日の投稿のタイトルですか?思いつき……と言いたいところですが、こだわりはあります。字面がひどいのは認めます……。)
それではまた。
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