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日記:喋る感覚

  浮足立つという感覚がなくなって久しいが、その喪失については高3の時にメモに書いた気がするので割愛する。ただ思うのは、そのわくわく感がなくなった代わりに、俺は酷く緊張するようになったと思う。特に、人前で喋るのが苦手になった。そういう時には頭の中が該当の問題だけで占められ、脈が速くなる。まあ大人の日常にあまりわくわく感があっても持て余すだけだろう。そう考えると、適度な緊張感が代わりにあったほうが便利なような気がする。

しかし、声が出なくなるまで緊張するのは困る。最近はマシになったが、大学生になりたての頃は本当に酷かった。頭の中の文章が消えて文字通り真っ白になるだけでなく、本当に言葉が出なくなり、呼吸が荒くなる。言葉が出ないというのは、何を言っていいのかわからなくなるのに加えて、喋るというアクションを起こせなくなる状態を指す。


 ここで、自分が喋るということについて少し書いておく。半分くらいは無意識ではあるが、一応思考の流れは把握しているつもりだ。まず、相手の話を聞く。ノートをとるように整理し、キーワードを把握する。次に、自分の意見を述べるフェーズになったら、定型文と普段から貯めている文章を駆使して思考を表現する。最後に、なるべく構成に気を付ける。高校までは本当にほとんど何も考えずに喋っていたが、自分の思考をベタ打ちするブログを書き始めてからは自分の話の下手さを自覚するようになり、このように話し方を改善する努力をした。

ただ、ツクダニの二人や生物部の人間と、高速で会話(というか情報)を回すのも楽しかった。ほぼ同じ知識量、知識層を下敷きにして、気の置けない間柄で喋るからこその楽しさだったのだろう。大学では学生と話す時間と先生と話す時間がほぼ同じくらいになってるので、高校までのノリで話していては心臓とメルアドがいくつあっても足りない。でも時々、彼らと彼らとの会話が懐かしくなる。


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この日記を書いたのはちょっと前なのでアレですが、浮足立つ感覚そのものはあると思います。帰省や旅行の準備をしている時とか、何か楽しいことの前とかはわくわくします。ただ、機会が減ったようには思うのと、高度が下がったような気もしますが。

近年の最大限のフワフワは高3の夏に、遠くの大学のオープンキャンパスに一人で行ったときですね。電車を乗り継ぎながら4センチくらい浮いてた気がします。あのレベルの浮足モードはそれ以降経験していないので、最大値は下がったのでしょう。

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