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窓辺の幸福論

 幸福とは? 生きることとは?

どうもこんにちは、理想のマドロイドです。

幸せに生きるとはどういうことなのか、そもそも幸せとは何なのかについて。


 まず、夢のない話ですが僕の前提はここなので、生物学的な話をします。言ってしまえば幸せとは脳内の化学物質の総和の結果であり、要するに生命維持に都合がいい状態を「幸せ」と定義しているに過ぎません。幸せな状態になるのは、基本的には人間の生存に都合のいい条件がそろった時です。人間はタンパク質やその他の塊であり、それをコードしているのが遺伝子なら、その保存と安全な運用のために細胞を適当な状態で保つことこそが「生きること」であるともいえるでしょう。生きていれば別に幸せでなくてもいいのですが、幸せという状態はとても単純に意識を「生きる」方向にもっていきやすいのです。そのため、生きる上で幸せは欠かせないのだと思います。

そもそも人間の意識がなぜあるのかすら詳細については判明していないといわれていますが、そんな中でも意識としての「幸せ」を能動的に求めて生きることとはどういうことなのでしょうか。生きることは一種の義務ですが、幸せであることは義務ではありません……今のところレーザー銃の携帯の必要はなさそうなので。とにかく、幸福は全くない状態でも生きている状態を維持することは不可能ではないです。しかし前述のように、幸せを求めてしまうのは生物としての機構のひとつと言えるでしょう。その仮初ともいえる「幸せ」という状態に何を被せるかは、人それぞれだと思います。


 では、皆さんにとって「幸せに生きる」というのはどういうことですか? 

僕にとって「幸せに生きる」こととは、「理想的に生きる」ことです。僕は、幸せでない状態が続くと苦しくなるのは、現実と理想の生き方がかけ離れているからだと考えています。理想はいろいろありますが、「地球環境の保全」や「規則やルールの順守」のような大きく根本的なものから、「早寝早起きなど規則正しい生活をする」や「大学生という社会的な役割を適当に楽しむ」のような小さく日常的なものまで様々です。これらの理想を持ち、それを実現しながら生きることが、僕にとっての幸せです。

僕は念願かなって希望の学校、学部に入学しており、毎日楽しく勉強しています。特に、得られた知識が自分の中で結びついた瞬間や、新しい思想を開拓する瞬間はこの上なく幸せな気分になれますね。高校はなかなかこういうのがなかった(これが比較的よく出てくる科目で得意だったのが生物くらいしかなかった)のですが、やはり学部で学問の系統を絞って勉強しているので、点と点が繋がる感覚は結構あります。これは本当に、ここまで生きてきて、大学に入ってよかったと思えるポイントです。


 それでも週に1回くらいは、罪悪感と無力感に襲われて漠然と「あぁ何か死にたいな」みたいな気分になるんですけどね。勉強した内容によりますが、その3、4回のうち1回くらいの割合で衝動的な激しいやつも来ます。死にませんけどね。準備について考えてるうちに面倒になってくるので。こういう面倒なルーティーンに置かれつつも僕がこの進路を選ぶのは、環境問題に取り組んで全ての生物と環境そのものを良好な状態に保つという自分の中の理想が、本当に素晴らしいものだと思っているからだろうと思います。理想的であれ、という原則に適い、さらに自分の知的好奇心と個人的な美的感覚に合致する目標だということです。あと、沈む用の泥炭地も保全されてくれないと困りますし。

こんなことを言っていますが、個人的には普段は自分が生きていることを意識していません。ルーティーンを回して「正常」を保つことさえできていれば、日常生活で困ることはないからですね。隙あらば考えていたいと思っていますが、あまりぼんやりしているとアイロンで火傷をしたり皿を割ったりしかねません。それに、現代の社会において求められるのは(人間的に)生きることではなく、(社会の一員として)生活することでしょう。そうはいっても、家事をして生きていることだけが人間にとっての生ではないともいえます。人間は考え、行動するという意識を有した存在です。その特性を利用して生かすことは、生物としてというよりは、自己認識された人間、哲学的な人間として幸せに生きることには欠かせないと思っています。

したがって、理想のために今できることを最大限していくことが僕にとっての幸せな生き方だということです。それが環境に関係したことであることもあれば、ごく個人的なレベルのものであることもありますが、とにかく人生の規範は「理想的であれ」みたいな感じなんですよね。アリストテレスは「ただ生きるだけでなく善く生きよ」と言いましたが、似たようなものです。


 ちなみに、理想的に生きることと関連して、もう一つ考えの規範というか、支えになっているような思想があります。それは、実存と死です。文章にすると、「Plejalta filozofio kaj kono estas medito pri morto.」でしょうか。これはもとのラテン語を勝手にエスペラント訳していますが、日本語にすると「死を見つめることは至高の哲学であり知恵である」みたいな感じです。この規範の目的は環境ではなく人生そのものなのですが、環境もその過程に含むものです。僕はこのように、考える主体である自分という存在の不可思議さ、その有限性に起因する様々な考えを大切にして生きていこう、と思っています。

幸福について考えることは、自分を自分と認識して「考える」ことを基礎としているわけですが、その考えるという行為の規範がこの思想です。やはり生物学的、機械論的な人間観から僕は離れられないのですが、それに関係しているものとして、またそれで解決できないような疑問を解決する手段として「考える」ことを重視しています。そのプロセス、産物、現象をひっくるめて、です。その上で今ここに存在する自分やその意識を感じ、活かしていることの認識を忘れないようにしたいと考えています。そして、その全てを支えているのが僕の場合は「死」というわけです。我々は生きています。死んでいないからです。でも、いつかは死にます。この意識も霧消します。それを保証するのは死です。ということは、同時に今保たれている意識の存在基盤も死だと考えています。

ただ、こういう考えがまとまったのはそれこそ大学の受験期くらいからで、将来とか人生とかについて考え始めたのがそれくらいということです。それまでは、ただ目の前のことに一喜一憂したり、何か嫌なことからなんとなく逃げたりと、自分の存在というものを特に気にせずに生きてきました。環境についての関心はずっとありましたが、人生観と結びついてはいませんでした。で、ある時、一種のパラダイムシフトを経験した際に超客観自我みたいなものを一時的に獲得したのですが、その経験は転換点でしたね。この辺の話はまた纏めたいと思います。


 ただし、この僕の人生観は時々揺らぎます。それは、何か非常に大切にしたい対象が出現した時です。具体的に言うと対象は人間なのですが、人間だからこそ、まだ理解しきれていない対象が自分と同じように持つ人生に関わることに慎重にならざるを得ないんですよね。それが興味深くもあるのですが。それに、説明できない(というか、文章や情報として処理してしまうには惜しい)情動を抱え込んだ状態は本能的に暖かいというか、言ってしまえば直感的に幸せなんですよ。自分の理性を信じて設定した理想の達成とは違う、自律神経系の快感みたいなものがあって、ちょっと悔しいけどそれはそれで充実感と癒しを得られるんですね。

まあ、僕がタンパク質の塊で、極限まで単純化すれば竹輪に中枢神経がくっついたものが化学物質で制御されているというのが前提の話です。その上っ面の人間として生きる上で幸せを感じるとしたら……ということを定義してみたら、という話で信じているのは自分の思想と理想だということも変わりはありません。揺らぐと書きましたが、ガタガタになって崩れ落ちるというよりは、違う次元の並行世界か宇宙のようなものが流入して、真水に塩水を入れた時のように視界が揺れる、というようなイメージです。

で、この状態を幸福と呼んでいいのかとか、この幸福は僕の理想である環境保護にとってどれだけ許容されうるのだろうかとか、そういうジレンマが発生するわけです。こういうことでまだ迷ってしまうから、僕はまだ甘いというか、大人になり切れないんでしょうか? 分かりません。でも、これは自分の中での話なので、一般レギュレーションではただの学生として、できる限りの誠実な対応をしたいと思っています。それはそれで、なかなか上手くいかないものですが。


 ということで、幸福観についての話でした。検索向け説明に書いたように人間初心者なので、自分の事にも関わらずよく分かっていないことも多くありますが、これからも考えを深めていきたいです。人間が生きていないといけないなら、同時に幸せでもあるべきなんでしょうし。余談ですが、実はあの説明をいつ書いたのか、どうしてあんなに何の情報もない文章になっているのかは思い出せないんですよね。


それではまた。

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