スキップしてメイン コンテンツに移動

日記:大阪・関西万博

 万博に行く。飛行機に乗るが、なかなか出ない。なんでも、前の便の影響で遅れているそうだ。15分ほど遅れて出発した。関西空港に向かうが、港湾の上空で方向転換をするようだ。窓からは万博のリングが見える。時間通りに着きそうな雰囲気のアナウンスをしつつ、結局15分遅れで到着。予約したバスには乗れなかった……。ここで建物まで歩く! 接続バス乗場もスムーズだった。列車の乗り換えも大丈夫。しかし、この次の乗り換えに手こずった。同じ駅だが会社が違うのでホームが違う。都会は厄介である。

 乗り換えた電車は大雨で遅れていたが、新しく予約したバスに乗るために桜島まで向かう。バスの時間すら過ぎていたが、乗せてもらえたので西ゲートに向かう。大屋根リングをぐるっと回るのだが、外側の壁の側面にこみゃくが描いてある。可愛い。これはデザインシステムであり柄のはずだが、人々に愛されてキャラクターの域に達しており、非常に興味深いと思う。目が描いてあると、多少愛着が湧きやすくなったりするのだろうか。


 17時ごろ、どうにか万博会場に到着。各国の国旗がたなびき、色とりどりで美しい。西ゲートは驚くほどスムーズで、少しも待たずに入場できた。ひとまずオーストリア館を目指す。途中で通った静けさの森は、思ったより森だった。もっと適当に木とか置いただけだと思っていたが、抜かれる予定だった公園の木々を移植し、地元の植生の雑草を吹き付けているらしい。ランドスケープ関係のデザイナーが嫌うのは虫と不確実性であり、それらの象徴にも見える雑草なんてみんな大嫌いなのではないかと思っていたが、これは革新的なデザインなのではないだろうか。自然を再生したのではないが、明らかに自然環境がデザインされている。一方、分かりやすいアートを見てね! みたいな部分もあり、自然そのものに喜ぶ人間はまだ少数派なのかと思う。

 オーストリア館は、大きく国旗が示されていて分かりやすい。建物のデザインとしても斬新であり、あの CG のイメージ図がそのまま再現されていてすごい。目立つからか、一時期は大屋根リングの土台が崩れたみたいな記事の見出しの写真によく使われていて、この建物が崩れたみたいになっていてちょっとかわいそうだった印象がある。近くに行くと、列の最後尾は締め切られている。しかもレストランも営業終了とか書いてある。どういうことかと思っていたら、区切られていた部分が開けられて人々が殺到し、適当なところで締め切られた。うわぁ……何だこれ。通路に並ぶなということらしい。並ばない万博を目指した割には並ぶという話だったが、並ぶことすらできないとは。

 しかし、整理のお姉さんが来ると開くようなので、その辺を行き来して狙う。段々人々も分かってきたのか、通行を邪魔しないように通路の端に寄りつつ、待ちスペースから一定の距離を確保できるような位置に集まってきた。人が通らないと、何かの集会のようである。そのうちお姉さんが来たので、するするっと前に行き、無事に待機列に並べた。段々進む。10分に1回ほど入り口が開くようで、それで並ぶスペースが確保できると入り口が開かれるようだ。待ち時間は30分ほどで中に入ることができた。


 入り口を入ると、シャンデリアの下にピアノが置いてあるスペースに行くことになる。このピアノは自動演奏らしく、時間が来たら独りでに鳴り始めた。鍵盤も動いている。どういう技術なのだろうか。ついでにオーストリアと日本はお友達! 素晴らしいオーストリアの文化と技術! みたいな映像も流れる。レッドブルってオーストリアの会社だったんですか……知らなかった。段々オーケストラの演奏も入ってきて、最終的にオーケストラだけになった。管理人は演奏の間中ボロボロ泣いていた。ここまで来ると色々幻覚が見えるのである。ありがとう世界……ありがとうオーストリア……生きてると時々いいことがあるなと思った。

 次の部屋まではオーストリアの紹介みたいなのが続き、今度は小さなホールみたいなものが出てきた。ここは参加者がタッチパネルを触ると、触った場所に応じて楽器の音が出るギミックがあるようだ。それを AI が編集して、オーケストラのようにしてくれている。後ろの人は見るだけにはなるのだが、面白い取り組みだと思う。楽団の人とかはどう感じるんだろう? とも思ったが、AI なんて初めから相手にしていないんだろうなとも思う。しかし、首都であるウィーンが音楽の都というのは世界的に有名なのだろうが、それを国としても推せるのはすごいと思う。各地にもオペラなどの音楽文化が確かに根付いているからこそ為せる業だろう。なぜか似顔絵 AI も居たが、絵描き的にこれは興味がないのでスルー。あとは素敵なスタンプを押して外に出た。

 外は売店になっている。アカシロアカちゃんのグッズとかハチミツとかを売っていたので、アカシロアカちゃんのクッキーを買った。名前が単純で可愛い。パビリオンの綺麗な写真のポストカードとかも欲しかったない。ついでに、スタッフの人にレストランがどうなっているのか訊ねると、右側の階段を上がったところで営業中です、と言う。あれ? そこ閉まってたよな。これ連携取れてなくないか。まぁ制度とか仕組みとか、全体的にドイツとイタリアの中間な雰囲気はある国なので、この辺はオーストリアのおっとりな部分なのだろう。役所とかも結構待つタイプの国らしいし。上の階に上がってみると、レストランの前には数人待っている人がおり、普通にメニューを眺めている。どうなってるんだこれ。しかし、よく考えたら屋上に上がるエレベーターは普通に使えたし、そこから2階のレストランに降りる分には何も障壁はないのである。なお、屋上からの景色はとてもよかった。各パビリオンがキラキラしていた。


 多少待って、レストランに入る。暫定オーストリア人の男性に案内してもらい、店内へ。うわーお城みたいなカーテンある。先にメニューを頼んで、席に着く。キッチンはお洒落な雰囲気で、ピンク色のタイルが貼ってあった。奥に厨房があるようだ。そのうち料理が運ばれてくる。同行者はシュニッツェル、管理人は野菜のパイ包みである。パイとは何ぞ? という感じのもっちりした皮だったが、ザウアークラウトみたいなのが包んであり、ソースもおいしかった。ただ、少し塩辛かった気はする。まぁ、高くて頼まなかったがワインも揃っており、本来はあの辺を煽りながら食べるものなのだろう。オーストリア人も昼間からワインを飲む人々なので。同行者のシュニッツェルはサクサクに上がっており、謎ベリーのソースをつけて食べてもおいしかった。甘酸っぱくて香ばしい揚げ物、不思議体験である。

 あと、ザッハトルテも食べた。これは見た感じデメルとかホテルザッハーみたいな(通販をやっている)オーストリアの有名店のものではなさそうだった(ジャムが2段挟まっているのは見たことない)ので、疑ってかかっていたが、とてもおいしかった。あと、「甘くない生クリーム」に感動した。色々な本でこの記述を見てきた訳ではあるが、砂糖なしで生クリームを立てるなんて考えられなかったので、管理人はいつもちょっと砂糖を入れた生クリームで食べてきた。しかし、これは全く甘みのない生クリームだった。何だこれ!! ケーキと合わせていくらでも食べられそうである。ケーキの大きさは控えめだったが、これが本場式のサイズであったなら、イメージのようにモリモリに盛られていてもおかしくない。グラサージュはシャリシャリが控えめだった。しかし、これは温度とか時間の関係で砂糖の粒がチョコレートに溶けてしまっただけという可能性もある。カステラざらめ現象である。大変充実したレストランだった。いつか、現地でも食べてみたいものである。


 外に出て、大屋根リングに登る。これがまた面白い。上に植物が植えてあって、コオロギみたいな虫が鳴いているのである。既に暗くなっておりよく見えなかったのだが、これは花壇のようだ。雑草の花(ヒルザキツキミソウなど?)も植えているようだが、静けさの森ほど自然を目指している訳でもなく、整然と花が咲く想定で植えているらしい。しかし、普通の雑草も生えているようなところもある。花壇や芝生をデザインに取り入れると管理が難しいからよく考えろという話は聞くが、よくこれだけの規模で導入したものである。何せ、一周約2キロメートル(実は2025メートルらしい)あるのである。完璧に管理するのは難しいだろう。しかし、花壇でもなんでも、植物は見る側も設計する側も、これくらい広い心で導入していくべきなのではないかと思う。

 ちなみに、一時期話題になったユスリカは全然飛んでいなかった。クモの巣には引っ掛かっていた。余談だが、万博の会場は夜もあちこちでライトアップをしている影響か、やたらクモが多い。ライトトラップである。それは置いておいて、リングの上からは噴水ショーを見ることができた。水は花が咲くように広がり、とても綺麗だった。リングが海にはみ出している部分の、会場寄りに噴水が設置されている。それで気付いたのだが、この大屋根リングは非常に優れたイベント会場のデザインでもある。円形なので、こういう1ヶ所でやっているショーであっても、かなり広い範囲から観ることができる。さらに、海と陸という正反対な土地の特性を、万博会場として連続的なイメージとともにまとめ、繋いでいる。素晴らしい。正しくプロの仕事である。まだすごいとしか言いようがない。



 ショーが終わって人が減ったところで、リングを歩く。外側にはもう一段階上に上がるスロープがあり、高いところから大阪の夜景とか万博会場を眺められるのである。ライトアップもパビリオンごとに個性があり、面白い。綺麗なのだが、写真を撮ったら全部アゼルバイジャンの超発光に引っ張られてよく撮れていなかった。ちなみにこの国は事実上の独裁国家らしく、お友達内閣ならぬファミリー政治をやっているようだ。もう、大統領が個人のプライドを懸けてビカビカに光らせているのだろう。やたら目立つ上にカラフルで主張が強い。主張が強いといえば、イギリス館もなかなかだった。パビリオンにユニオンジャックが光っているのである。分かりやすい。


 リングを歩いてから降りてみて、同行者のお目当てのシンガポールのパンを見に行く。しかし、これは売り切れだった。残念。そこで、近くのコモンズに入った。ここは管理人が目を付けていた、天然石がたくさんあるショップもある。管理人は石が好きなのである。その前に、一旦各パビリオンを覗く。コモンズには多くの国がブースを出しており、真ん中にブースとは別のショップがある。ブースは文化祭の展示のようで、手書きの宣伝から「ギニアの県パズル」のようなニッチなものまで色々置いてある。遠くの国の文化や産業について知ることができ、世界は広いものだと実感した。一方、アラビアゴムが瓶に入って置いてあるのを見て、世界の繋がりを感じることもできる。かと思えば謎のピタピタ半パン衣装が視界に飛び込んできて、一瞬で置き去りにされたりする。



 歩いていると、主にブースに謎の太鼓が結構置いてあり、野生のパーカス屋みたいな人々が釣られてポコポコ叩いている。かと思えば、子供が適当に叩く横でスタッフも巧みに合わせて叩き、リズムを合わせつつ変化をつけて楽しい演奏にしているところもある。後ろのショップでは来場者が天然石のアクセサリーの値段交渉をしていたり、暇そうな店員さんがべたっとカウンターに貼りついていたり、なんか別の楽器の音が聞こえてきたり、水笛みたいなのを吹いている人が居たり、まぁカオスである。しかし、歩いているだけで楽しい感じだった。結局天然石は買わなかったのだが、カットされたり台座がはめられたりしていない普通の石にも、ループがついているものが多かった。工作などが好きな人は、自分でストラップとかネックレスに加工しても楽しそうである。

 最後に西ゲート付近でお土産を買う。店内にはたくさん人が居るが、それでも並ばずに入ることができた。事前にオンラインショップなどで目をつけていた商品を探すが、ネットに載っていないような商品があったり、ネットに載っている商品がなかったりして、結構時間がかかった。あと、店内はホームページで見たより小さい印象だった。もっと広々と作ればよかったのにと思う。でも、店内は見渡す限り万博グッズであり、その中心であり一番目立っているのは、公式キャラクターを使用したミャクミャクグッズである。

 管理人はミャクミャク様がかなり好きである。もちろんエンブレムも好きなのだが、ミャクミャク様もかなり好きである。まず、水と命という概念をキャラクターとして表現してあの造形になるのが謎である。しかし、説得力も確かにあり、その情報処理のギャップの美しさに一種の神々しさすら感じる。あと顔が可愛い。人懐っこくておっちょこちょいとかいう、安心して釣られることができるあざとい属性も素晴らしい。これがジャパニーズ萌え。尻尾も可愛い。異形に見えるのに2足歩行だからかどこか親近感もあり、そういう随所のチャーミングな違和感からか見飽きることがない。しかも赤と青の配色で目立つ。完璧である。あと、着ぐるみになったらちょっと丸くなったし、ついにもっちりぬいぐるみなどというものも出現した。無敵である。



 東ゲートまで大屋根リングの下を歩く。これは建設途中は散々な言われようだったが、実際に見てみると想像以上に巨大で、神殿のような荘厳さすらあった。歩きながら、周辺のパビリオンを見て回った。21時近くだったにも関わらず、イタリア館の前にはまだ大勢の人が並んでいた。トリコローレの糸がコロッセオ風の建物から伸びており、素敵だった。スペイン館は青かった。赤とか黄色とかじゃなくていいんですか? ドイツは自然を感じる植栽や、丸いモチーフが目立つパビリオンだった。わ! というのが可愛い。偉い人が「テーマは わ! でいきましょう」とか会議していたのだろうか。ここはマスコットも日本人の感性に訴えてくる感じがする。さすがマンガ好きである。スペインのパビリオンも綺麗にライトアップされていた。青い光は、情熱の国というより黒潮のテーマに沿ったものだろうか。

 ようやく東ゲートから脱出した。ゲートはかなりスムーズに通れたが、出たら大変な人混みである。なるべく流れていそうなところを選んで人混みに乗り、のろのろと動く。自分がどこにいるのか、どこに向かっているのか全く分からない。しばらくすると、柵があるのに気付いた。どうやら、ぐるっとゲート前の広場を回っていたらしい。人間さんいっぱいで多少ストレスである。ただ、ゲートの方を見ると締め切られて出られもしていない人々もいるようで、それを考えると早めに脱出の決断をしてよかったのかもしれない。うーん、それでも西ゲートからのバスを取っておけばよかった……と、みんな思っていそうな顔をしていた。

 夢洲駅はさすがにピカピカで、大きな広告が出ている。しかし、万博に来てまで「よし、帰りに炊飯器買おう」とか思うだろうか? 象印の経済力は伝わってくる。ここの広告料金はいくらなのだろうか。電車はすぐに来た。駅に入りさえすれば、すぐに帰ることができるようだ。


 各種トラブルに見舞われたが、行ってよかったと思える万博だった。着いてきてくださった同行者にも感謝したい。もう会期も終わりかけだが、デザインをする人々はパビリオンに入れなくても、建築やデザインだけでも見に行くとよいのではないかと思う。コンセプト的に色々思うところのあるパビリオンもあるが、国内外のデザイナーが本気で未来社会のデザインをやっている。個人的には、そこに救われた部分もある。とにかく、何らかのインスピレーションを得ることができるのは請け合いである。あなたは行きましたか?


---------------------------------


 花の万国博覧会♪

 どうもこんにちは、(こんにちは、)万国マドロイドです。

 万博に行った日記。


 いやはや、久しぶりの投稿になりました。今年の夏の管理人は、前期の詰め込み履修をなんとか駆け抜け、どうにか成績を維持し、卒業研究を進め、なんかまたコンペ用に作品を作り、サークルに時々行って、どうやら留学にも行くことになりと、結構盛沢山でした。しかし、そんな中でも万博に行ってきました。管理人はエアプ懐古厨でサザエさんマニアなので、どうにかして行きたかったのですが、無事に見物できてよかったです。もちろん70年代の大阪万博の幻想を見ているのですが、それとは別で「未来社会のデザイン」というコンセプトにも共感しています。この辺は Twitter に書きましたね。

 ちなみに万博は、9月の初めに夕方から行ったのですが、予約が一つも取れないまま行きました。2か月前から計画してもだめでしたね。今頃どうなっていることやら。なお、管理人はオーストリアのオタクとして日記を書いています。ブログに書いたことがあるかは忘れたんですが、管理人はオーストリアという国そのものが好きなんですよね。重症の甘党なので昔からザッハトルテとかウィーンのカフェ文化とかが好きなのですが、環境先進国であり、あるきっかけで知るようになった歴史も興味深く、何かと管理人の関心を引く国なんですね。第二言語のドイツ語の先生がオーストリア文学を研究していたことから文学作品にも興味を持ち、今ではオーストリアの世紀末文学が結構好きな本のジャンルの一つになっています。

 ということで、環境学・デザイン屋見習いによる大阪関西万博日記でした。


それではまた。

コメント

このブログの人気の投稿

  管理人の愛は重いらしい。時々言われるので、そうなのだろう。しかし、80億の人間ともっと多くの生物、地球環境、それに自分のと他所の創作キャラの絡みなんかを丸ごと愛せるレベルでなければ、管理人は環境屋をやっていけないようにも思う。ただ、これは別に無理に愛を作り出している訳ではない。愛とは何か。これは、考えること、思うこと、想像すること、形にすること、すなわち思想だと思う。  哲学がフィロソフィア、すなわち知を愛することであるように、愛とは原動力である。そして、哲学という営みの根本にあるのが人間の考えるはたらきであるならば、愛は人間の思索であり思想だろう。何かを考えているとき、そこには何かしらの愛が発生するのではないだろうか。  もしそうでなければ、その時には人間として精神的な危機の状態にあるのかもしれない。何かを積極的に考えて想像することは、人間に特有の行動だ。その原動力が愛なら、愛がなく限りなく機械的な情報処理に近い思考は、人間的ではないだろう。それはおそらく、ほとんど受け身に何かの様式に則って考えている、もしくは生物としての本能に従ってプログラム的に動いているに過ぎないのだろう。  そして、そのような思考を形にすることで、愛はきっと確立される。思考といっても、思想として纏まらない考えや、自分の中に秘めている想いというものもあるだろう。それらが全くもって愛ではないとは言えないとは思うが、やはり何かしらの表現によって形にしなければ、対象に示すことができる愛にはならないのではないだろうか。  愛には形がある。それは、思想を思想として表現できるということである。もし表現できない思考があったとしたならば、それは場合によっては恋なのかもしれない。恋は一方的だ。そして、形をとらない思考、すなわち原動力の源は高カロリーなエネルギーに近いのではないだろうか。恋とは動力源であり、エンジンに対するガソリンである。それ単体では危険で、扱いづらい。しかし、爆発的な可能性も持っているのだろう。  以上から、愛とは思想であり、地球環境と生物のために考えている管理人の愛はやはり地球規模である。1人の人間として、愛していたいと思うし、愛されたいとも思う。贅沢を言えば、誰かの思想を、愛を尊重したいと思うし、自分の思想も誰かに大切にされてほしいと思う。 __________________ ...

窓辺のバレンタイン2025

 ハッピーバレンタインデー!  どうもこんにちは、クッキーマドロイドです。  バレンタインの話。  みなさんチョコ食べてますか? バレンタインですね。管理人は昨日クッキーを大量に作り、チョコを作り、今日は配った残りを食べました。いやー、合法で甘いものを大量に作って食べられる日というのは素晴らしいですね。年に1回くらいあってもらわないと困ります。ホワイトデー? バレンタインに貰えるわけではないので、管理人にはないです……ハイ。  それはさておき、今年も皆様にバレンタインイラストがあります。2025年はパラレルヘーチラグです。  これはヘーチラグのパラレルですね。Twitter にも載せてますが、こちらではその設定や裏話などを語っていこうと思います。まずヘーチラグですが、ついでにここにも載せておきましょう。  こういうキャラです。モチーフは魔法少女(概念)ということで、それぞれ若干不完全な魔法少女をイメージしてデザインしています。サブ要素は芸術家ですが、メインは魔法少女です。オルトは魔法少女擬きって感じですね。キャラ設定を引っ張ってくると、こんな感じです。 名前/正式名称 イメージカラー 武器 好きなフレーバー 一人称/二人称 「自己紹介」 「喜怒哀楽」 喋り方の特徴など (対戦ゲームのキャラだったら?) 「上限解放」 「勝利」 「敗北」 戦闘スタイル ヘーチラグ/Hétillag 暗いオレンジ(明るい茶色) ステッキ アプリコット 私(わたし)/君 「ヘーチラグです~よろしくお願いします!」 「え~やったー!」 「えっ……えええ……?!」 「そんな……そっかぁ」 「すっごーい!!」 語尾は若干伸ばし気味、ちょっとふわっとした明るい口調。 「そろそろ本気でいくよー!」 「お、やった! 嬉しい~!」 「あー、やっちゃった。お疲れ~」 ステッキで殴る近接攻撃。一撃は軽いが連続で攻撃する。素早さは高め、体力はそこそこ。 遠隔攻撃(ステッキの投擲)。投げたステッキを手元に回収する魔法だけ使えるらしい。  ステッキを投げてる時点で、まぁ魔法少女ではないですね。Twitter と pixiv に載せた画像では、ステッキを振りかぶっているものもあったと思います。魔法少女にも色々ありますが……とにかく、そういうところでちょっと印象を...

日記:宇宙船と冬

 高校1年の冬、友達に勧められたのがきっかけでレイ・ブラッドベリを知った。彼は蔵書から短編集を一冊貸してくれたので、それを読んだ。題名は忘れてしまったが、年季の入った文庫本特有の儚さというか、軽やかさと繊細さと重さを凝縮したような本だった。うーん、題名……ざっと著作を調べたところ、『10月はたそがれの国』が印象としては一番近い気がする。  そういえば、夏には 「異邦人と夏」 という日記も書いていた。カミュの印象は夏だが、ブラッドベリの印象は冬らしい。白い霧がかかったような、薄い散乱光で満たされた森の中、ひんやりと冷たい空気、木々の暗い影と足元で音を立てる乾いた落ち葉と、下り坂の向こうの透明な茶色の沼地。そういうイメージがある。昔読んだ本の内容もほとんど覚えていないし、今読んでいる本もまだ途中だが、イメージは変わっていない。  俺は何を勧めたっけ。残念なことに、そういうことを書いていたスマホのメモ帳が機種変更をしたら空になってしまった。『ブンとフン』とかだった気がする。どうしてこんなに人を選ぶ本を勧めてしまったのか理解しかねる。確か、『虐殺器官』、『きつねのはなし』も勧められて読んだ。あとは何だろう。非常に印象に残っている話もあるのだが、題名が思い出せない。内容を言ってしまうとネタバレになるので言えない。  しかし、何だったんだろうな。分からない。ただ、大学に入ってみたら、周りの人間に読書家が大勢いた高校時代は非常に恵まれていたことに気付いた。読書というのも膨大な数がある趣味の1つであって、大学生でも図書館では勉強しかしないとか、参考文献しか読まないとか、そもそも図書館に行かないとかいう人も案外多い。  広大な本の世界で、自分の知らない扉を教えてくれる友人というものは有難い存在だったのだ。そのことに気付けていなかった。あと、今見れば非常に好みの分かりやすい選書をされていると思う。この嗜好に合いそうな本を自分が知らなかったのも、今になって残念に感じる。今の自分なら、彼にどんな本を勧められるだろうか。  なるほど、読書というものは時間がかかり、タイパ至上主義の現代人には敬遠されるのかもしれない。でも、読書で深まる世界があり、読書をする人との交流で広がる世界がある。著者の数、本の数、読者の数だけ世界がある。こういう情報は時間というコストを払ってでも手に入れたいものだと思う。...