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妄想と現実

 どう考えてもおかしい。

どうもこんにちは、完全感覚マドロイドです。

自分の感覚の変遷についての話。


 どこかで話したような気もするのですが、見つからなかったので書きます。果たしてこういう人が他に居るのか、ということはよく分からないのですが、管理人は自分の感覚が変化たという認識がはっきりとあります。この感覚は、触覚とか嗅覚とかではなく、感情が動かされるような、周りの世界を頭の中で認識・処理する時の感覚です。何かを見て何かを思うときの、その見方と考え方が、管理人はここ数年で大きく変わったと思います。


 具体的に自覚したのは、高校2年の冬頃です。タイミングはいくつかあったのですが、分かりやすいものを紹介します。ある時管理人は、家族でテレビ中継されていた冬季オリンピックのフィギュアスケートを見ていました。管理人の母親はフィギュアスケートが好きらしいので過去にも見たことはあったのですが、みんな同じようなことをしていて非常に退屈な上に緊張感だけ無駄に伝わってきて、どちらかというと苦手でした。ところが、なんとなく羽生結弦選手の演技を見ていて、自分でも驚くほど感動しました。

 それまでの管理人は「感動」というものが苦手でした。どうやったら感動できるのか分からなかったし、感動が何なのか分からないし、しかし世間では感動というものが異様に持てはやされているしで、理解できない存在が市民権を得ていることをずっと気味が悪いと思っていました。24時間テレビとかも苦手でしたね。もちろん、管理人は無駄に感受性が高かったので悲しい話を読むと泣くこともありましたが、それは物語に感動している訳でも登場人物に共感している訳でもなく、ただ自分の身に起こっていることだと無意識に勘違いをしていただけです。

 ところが、その時はスケートを客観的に見ることができたというか、作品として認識できたんですよね。それで、音楽に乗せた滑らかな動き、柔らかい着地、衣装のはためき、浮かぶようなジャンプなど、全てを一体として一つの芸術のように感じられたというか。それに、同じ動きでも人によって表現の方法が異なるし、音楽の選定や衣装の違いで全くの別物にすら見えます。これは素晴らしい、面白い、と思ったんですよね。そのときの視界が開けたような爽快感、幸福観は今でも覚えています。

 一方、これは自分が感動しているな、と悟った瞬間には、軽い恐怖もありました。今までまったく感じたことのなかった感覚に支配されるような、気味が悪いと思っていたものがすぐ頭上にあるような、頭の先から痺れて冷えるような恐怖です。それでもその感覚は自分の中から出てきたものなのですが。そして、同時にフィギュアスケートをつまらないとは思わなくなったことで、その感覚が失われて自分の構成要素が抜け落ちたような空虚さもありました。しかし、この部分に関しては感覚が変わったという自覚においては比較的普遍です。


 その例として、薄っすらあった共感覚的なものの喪失や、自分と他人の境界の認識が変わったことが挙げられます。管理人は長らく、自分は他人の考えていることが分かっているし、他人も自分の考えていることが分かっていると思っていました。この「考えていること」とは、会話から推測するようなものではなく、むしろ会話がなくてもテレパシー的に勝手に想起されることです。具体的には、ただ隣の席に座っている人が、授業中に何を考えているのか分かる気がしていた……という感じです。

 しかし、後から思い返してみれば、これで分かった(と思っていた)ことは、全て自分に関することです。黒板が見えにくくて邪魔だと思われている気がする、椅子を後ろに出しすぎだと思われている気がする、机から出ている本は何だろうと思われている気がする、etc.……。常にこんなことを考えていたし、自分が考えていることも同様に知られていると思っていました。そんなのどう考えてもおかしいんですけどね。要するに、一種の自意識過剰だと思います。自分の意識の範囲が拡大しすぎて他人を気にしすぎた結果、こういうことになっていたのでは、という感じです。全人類がうっすら自意識の延長線上にあったというか。

 これは、「管理人」が出現して、超客観視みたいなことをしていた時期を境になくなりました。もしくは、色々な人と話し続けて、ようやく気付いたのかもしれません。自分は自分で、他人は他人です。自分のことは適切に表現して伝えなければ他人には分かりません。そして、他人の考えが何もせずとも「分かる」ということはありません。もちろん、コミュニケーションや相互理解を通じて予測はできるようになるでしょう。本来は、それが重要なのだと思います。管理人は「分かる」と思い込んでその練習をすっ飛ばした結果、現在コミュニケーションにおいて苦労しているのかもしれません。

 共感覚的なものは、自分でもよく分かっていないのでさらっと書きますが、人のオーラっぽいものが見えていた気がする、というものです。管理人は人の顔を見分けたり覚えたりすることが絶望的に苦手で、みんな制服だった学生時代においては髪型が変わるだけで詰むこともありましたが、これでなんとなく見分けていました。なんだそれ。いまだにどういうことなのか、よく分かっていません。ただ、今でも意識すれば何となく感じ取れるので、どうしても人を覚えられないときや、興味深い人については、それを言語化することがあります。声の印象と近いので、それが視覚化されていたのかもしれません。幻覚ってこんなにカジュアルに在る(?)んですか?!


 さらに、芸術に関する感性というところに話を戻せば、昔の管理人は美術品の見方がよく分かっていませんでした。管理人の父親が版画とかリトグラフが好きで、そういう展覧会に連れて行ってもらえることがあったのですが、それを見ていてもよく分かりませんでした。どちらかというとモチーフが分かりやすいものが好きで、東山魁夷は分からないけどミュシャの植物とか、金魚が踊っている浮世絵とか、アールヌーボーのランプとかは好きでした。キノコのランプなんて、それが何であれそのものが素敵じゃないですか。

 という具合だったのですが、それこそ高2の冬頃から、急に作品の解像度が上がるようになりました。それまで気が付かなかったような全体のバランスの良さ、絵に込められた意味のようなもの、躍動感、色遣いなど、自分が絵を描いていても意識が向かないような点にも注目するようになりました。これも一つ気味が悪い話と言えばそうで、自分の中から勝手にアンテナが生えてきたような気分でした。なんかこんな絵も描いてた気がする。

 さらに、管理人自身の創作活動にも影響がありました。管理人はそれまで創作の中のストーリー性を重視していたのですが、これがどちらかというと第一印象に訴えかける感じの美意識にとってかわった感じです。管理人はずっと絵を描いていたわけですが、昔の管理人の絵は造形の捉え方とか色遣いが評価されたというよりは、作品のストーリー性が評価されていたように思います。陶芸作品(スープ皿)の展示ですら、それを配置しながら頭の中にストーリーが湧いて出てきていて、そのストーリーを表現していました。

 ついでに、このストーリーが沸くというのは日常的なことで、ほぼ常に目の前の現実世界の出来事と連動して、同時に頭の中で物語が進行していました。本当に訳が分からない話ですが、それが日常だったので気にしていませんでした。例えば、学校から家に帰りながら頭の中では、目の前の景色の移り変わりとか落ちているものとかに応じて物語が進んでいました。帰ってから宿題をするときにも、宿題の進度とか出してもらっていたお菓子の減り方に応じて物語が進みました。さらに、いつか話した気もしますが、壁とか床とかに街の幻覚みたいなものが見えていました。これは、ストーリーに連動していることもあれば、いつも見える雰囲気のやつ(汽車が走っていて西洋風の、レトロなおもちゃの国みたいな街)のこともありました。

 こういうストーリー性の妄想が、美術の見方が分かった時からなくなりました。というよりも、段々意識しなくなっていたのかもしれません。以前は家具の装飾とか部屋の色使いのようなものに意識を向けることができず、そこにあるのは色や素材の境界の線か何らかの意味のある図形や文字であり、その上に小さな町が出現していました。一方、何かが分かってからは意匠に込められた意味とか構成要素同士の関係性、色づかいのハーモニーなどを受け取ることができるようになりました。


 これらの自他境界の発見とかストーリーの消滅とかは、妄想の世界からの脱却と言えるのかもしれません。現実を見ないと生きていけませんからね。自分の目の前の事実を客観的に受け取るということは、管理人にとってはずいぶん難しいことだったようです。このことに関しては、芸術の理解については自分で気付いた時にかなり驚きましたが、ストーリー性の消滅については在った時も無くなった時も全てが日常だったからか、無くなったことと他の人はそんなことはないらしいということに気付くまでに時間がかかりました。その分、気付いた時にはかなり衝撃を受けました。ちなみにこれ以降、管理人にとって物語作りが要素や出来事を能動的に組み立てる作業になってしまったため、少し苦手意識があります。設定ならいくらでも思いつくんですけどね。

 とか思っていると、ふと「これはおかしいのでは?」と思うことがあります。そもそも人間ってこんなに変わるんですか?! 管理人の昔の記憶に管理人の妄想が入り込んでたりしませんか? 誰かとの思い出は本当に管理人の補完じゃないんですか? これだけ変わった管理人は、いつかまた変わってしまうんですか? そのとき、今受容しているこの世界が偽物になったりしませんか?! うーん、まあその時の真実はその時にしかない、確かめようがないんですが、将来に向かっているらしい時間の流れの中に存在することが時々非常に不安になるんですよね。

 これだけ自己の中の認識というものが変化するなら、ガワすら何年かで細胞のほとんどが入れ替わってしまう人間として、自分って何なんでしょうか。自己認識というか自分が持っている内外の受容感覚って、外のことを認識している自分という境界の策定において重要ですよね。これが変われば外のことについての認識も変わるということで、すると外と区別することによって成り立っている中(自己)も変わりませんか? いや、変わる気がする。何だよそれ。

 確かに、変化しない人間は居ないだろうと思います。みんな色んな経験をして、価値観が変わって、知識を得て、視点を増やして、自己を見つめた時にその認識が変わることもあるでしょう。経年的に自己そのものの形が変わることもあるかもしれません。でも待ってください。さすがに以前の自己を自己と認識できるか微妙なレベルまで変わる、変わるというより同じものを同一と認識できないほどに自分の感覚が変化しているって、恐ろしくないですか? 管理人の本体は自己とか認識とかそういう系統だったものではなくて、感覚だったんですか? じゃあ自己とか自分とかいうものも、外の情報を受容する感覚がなんとなく区切っているだけで、それそのものが存在してはいないんですか?!

 いや、そうかも。自他って境界線を引かないと存在しないですよね。これは身体的にもそうで、自然を構成している原子も人間を構成している原子も同じものだから、遠目で見たら球体のシェイクみたいなものですよね。確か、食べることはその境界を作る行為みたいなことを言っていた哲学者が居ると思うんですが、自己の認識に関してもそうなのかもしれません。感覚があるから自己と外の世界があるし、感覚によって認識して初めて自己が生まれるんですね。なんかカントみたいになってきたな。

 しかし、これを実感するというのは恐ろしいことですね。現代では様々な哲学者が既に様々な考え方や理論を提唱してくれているので、それが予めあると分かっていれば「こういうこともあるか」と思えてちょっと楽です。いや、インターネットも本も録にない時代に生まれていたら、管理人はこの文章だけ書き残して発狂しかねなかったでしょうね。いい時代だ。これからも現実を見て生きていきましょう。


 ということで、感覚と妄想の話でした。なお、大学受験期の書きなぐりの清書です。表現できなかったことが、知識とか技法を獲得して表現できるようになるのは楽しいですね。ついでなので、当時の絵のリメイクです。なんかごちゃごちゃしている。考え事が増えたんですかね。うーん、絵に関しては昔のほうが良かったと思うところもあるし、良くなってると思うところもあります。進歩を一部含む変化って感じですかね。

 それでは、季節の変わり目ですが、皆様ご自愛ください。えっホメオスタシス?!


それではまた。

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