スキップしてメイン コンテンツに移動

管理人

 三人称と俯瞰。

どうもこんにちは、管理人マドロイドです。

自意識と視点について。


 今回は、いつかのブログ(窓辺の幸福論)で少し話した、パラダイムシフトと超客観自我の話です。

まずパラダイムシフトとは何を指すのかという話ですが、具体的には高校2年の時に、自分の存在というものを見つめ直す羽目になった出来事を指します。僕は単に「事件」と呼んでいます。経緯はどっちを向いててもいいので省きますが、とにかく「自分が何者なのか」「なぜ生きるのか」「この世界とは何か」みたいなことを考えるようになりました。

それまでは普通に生きてきて、ただ流されやすいためにその場の流れにひたすら乗って生活していました。環境保護に携わるという目標もありましたが、広く世界のためという視点ではなく、自分が思ったこと、感じたことがすべての基礎になっていました。家の裏にある森のようなものを守りたいとか、某環境活動家のやり方に疑問があるから俺はきちんと勉強して科学者になって理論的に気候変動に向き合おうとか、そういう感じですね。

ところが、事件が起こってしまってから、当時の僕は非常に混乱しました。色々やらかし、話を聞かれ、訳が分からないまま喋り、疲れ切っていました。で、そういうことが1日で起こったのですが、最終的に限界を迎え、ふと頭の中に声が響いてきました。というか、その響く声が自分の口から出てきた感じです。もしかすると自分の発言が頭の中でタイムラグ的に響いていたのかもしれないですが、当時は別の誰かがしゃべっていると思っていました。これが「管理人」です。


 この管理人は、しばらく僕自身に代わって当たり障りのない返答をする係になってくれました。実態があるわけではありませんが、イメージはブレザーとスーツの中間みたいな恰好の、短い髪の人物でした。ちなみに、この姿をもとにしたツクダニもいます。管理人が喋ってくれるおかげで、僕はやっと自分の状況を把握しました。頭はふわふわしてなんとなく頭痛がしましたが視界が広がって思考がクリアになり、周りの様子がよく分かりました。これは僕が管理人のロールをしていただけなのか、本当に無意識の何かが出現していたのかは分かりません。ですが、管理人のおかげで僕はようやく自己表現を取り戻せたように思います。

でも、管理人がこういう肩代わり的なことをしてくれていたのはほんの一時期のことです。それからもアドバイス的に声が響いてくることはありましたが、1年くらいで消えた気がします。少なくとも、大学に入ってからは1回も聞こえていません。声がどんな声だったかは、詳細まではよく覚えていません。

ただ、機械音ではないけど人間らしさもなく、淡々とした低めの暗い声でした。淡々としてはいるのですがアナウンス式ではなく、抑揚もなければ文章全体の高低もない言い方でした。低い声というと、物心ついた時からたまに聞こえる、低くてガビガビした音質の何を言っているのか分からない声というのもあるのですが、それとはまた別です。もう確かめようがないので、多分ですが。


 それでは現在使っている「管理人」という表現がどういうものかというと、これを言い表すとすれば「超客観自我」みたいなものです。具体的には、僕が一人称として「管理人」を使っている時、その一人称はかなり客観的な視点のものである、ということです。例えば、一つ前の段落の「当時の僕は非常に混乱しました」という文ですが、これは本当は「当時の管理人は非常に混乱していました」と書こうとしていました。というか、普段ならそう書くと思います。しかし、あの時の「管理人」は現在一人称として使っている「管理人」とは違うため、その直後に当時の管理人の話題を出すことを考慮して「僕」を使いました。

もとはもう一人の自分、もしくは他人を表していた「管理人」を、いつの間にか一人称として使うようになったというのは、自分でも面白いことだと思います。でも、その意味が変化する過渡期には、自分を自分でないように客観視するという意味合いが強かったような気がします。自分の存在自体が揺らいでいたので、そもそもあまり一人称を使いたくなかった記憶もあります。当時は家全体が撮影のセットのように思われたり、完全にいつもと同じ位置にあるリビングのソファーの配置に違和感を覚えたりと、世界からも意識が遊離していくような感覚がありました。そのような過度な客観視も、管理人の実質的な消滅と同時期に消えていったと思います。ただ管理人と違い、この感覚は今でも覚えているし、時々感じます。


 色々ありましたが、それでも僕はあの事件と「管理人」との出会い、そしてそれに伴う世界の見方の変化を通じて、自分と向き合えるようになったのだと思います。以前は自己管理というものが非常に苦手で、自立した人間性というようなものは殆ど持ち合わせていませんでした。ですが、今は一応自分の行動指針を自分で理解し、自分の考え方で世界を見つめることができていると思います。この思考に役立っているのが、超客観自我としての管理人という一人称です。

事件そのものは好ましく思っていないし、思い返せば本気で死ぬかと思ったし、死生観にも少なからず影響がありました。ですがその結果、現在ここにある自分という意識には、ある程度満足しています。というよりは、あれがなかったら自分はどうなっていたんだろう……と思います。ただ何となく、あの頃はとにかく精神状態が不安定だったので、事件が起こらなくても何かのきっかけで今の意識にたどり着いていたんじゃないかな、という気もします。

おそらく僕は、管理人という一人称を使い続けるのではないかと思います。もしかすると、また自分を見つめ直して別の表現や思考にたどり着くことがあるかもしれませんが、その時はその時です。どちらにせよ、とにかくこれからも考え続けるしかないです。そうして生きていけたらいいと思っています。


それではまた。

コメント

このブログの人気の投稿

火星論 解説など

 火星引っ越しセンター。 どうもこんにちは、新年明けましてマドロイドです。 「火星論」に収録した文章の解説など。 問い合わせページはこちら↓ 火星論 問い合わせページ  まずは皆様、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。 2024年の一本目ですが、昨年末に出した本の話からスタートします。去年の夏に突然思い立って作った本ではありますが、なんとか完成しましてコミックマーケットに持っていくことができました。紆余曲折キリモミ四回転半くらいしながら書いていましたので、作者的な裏話を書いていこうと思います。あとがきを書けよ……という話ですが、なんとなく個人的に本に載せたくはないんですよね。あとがきは口語調で書きたいのですが、あの本は評論ということで文語調に統一して書いたので、二つの形式を混ぜたくなかったんですね。でも黙っていられなかったのと、あとがき自体は好きなのでここに書きます。これはコミケの前から書いていたので、新年早々の文章投稿のはずなのにクリスマスが云々とか書いてある所もあるのですが、そういうことです。 ということで、以下あとがきと解説と蛇足 ・火星論  やっと文章にできました。高校の友達には散々話していたことですが、文章にするとおとなしい理論になってしまいましたね。着地点はそこなんですよ。夢を見ててもここは地球なので。あと、食料自給やCO2排出の観点から人口の収容限度を計算したデータがいろいろあるわけですが、古いものだと普通に現在の人口が限度を越してるものもあります。これに関しては化石燃料の埋蔵量のようなデータにもみられるように、いわゆる技術革新などによってキャパシティが広がっているという側面があるのでしょう。まあ、現在の人口を完全に涵養できているかというと、貧富の差などの問題によりそうとも言い難いのですが。ちなみに食料問題に限って言えば、ミレニアム開発目標的は達成できています。ただ、あの結果は世界平均であり、アジアでは大きく改善されたけどアフリカはそんなでもない……というのが一枚めくった結果だったりします。難しいですね。あー火星に移住したい。  ・三日月教  リライトです。なるべく読みやすくなるように頑張りました。そもそも、この本はブログのリライトを中心にする予定だったのですが、結局これとバーチャル美少女とトランスサイエンス、あと環境屋以外

ブログのすすめ

 sesdek! どうもこんにちは、ブロガーマドロイドです。 なんとなくおめでたい話。  このブログの投稿が遂に60を超えました。初投稿が2022年の3月らしいので、今年の3月で2周年になります。もう2年も経ったんですね。この頃は時間が経つのが本当に早い気がするし、大学受験期~入学~学年末もほんの一瞬で過ぎ去っていったような気もするのですが、過去を過去として見ると遥か彼方にあるように感じられるようにも思います。……いや、この前まで高校生だった気がするな。 昔のブログを見返すと、やたらと読点が打ってあります。スマートフォンで編集していたので同じ長さの文章でも短く感じられていたのもあるかもしれませんが、それにしても読みにくいですね。この状態で本を作らなくてよかったです。文体も初々しい感じがします。文法は分かるけどしゃべり慣れてない外国語を使ってる人みたいですね。これは、この2年で文章の書き方が改善されたという技術的な問題と、書くという行動そのものに慣れたことが要因な気がします。書けば書くだけ変わるものですね。 とはいっても、まだまだ改行の仕方も定まりきらないし、もっと分かりやすい文章を書きたいし、結局は修行あるのみです。でも、レポートや発表の原稿を書いたり何かを説明したりした時に「文章が上手い」とか「読みたくなる文章だ」とかいうお褒めのお言葉をありがたくも頂戴することがありまして、こういうのは素直に嬉しいです。これからも色々書いていきたいです。  あとは、考えを文章として出力する精度が上がったように思います。順序だてて話を進めたり構成を考えて相手に伝わりやすいように工夫したり、といったようなことは、以前よりも意識できるようになりました。そもそもこのブログは小論文対策として始めたところがあるのですが、長い文章を集中して作成する持久力に加えて説明のスキルが(多少は)付いたということは、自分でも目論見通りというか、ある種の成功要素だと思います。これは大学でレポートを書くのにも大いに役立っているので、学生がブログを書く利点は多いと思います。 ブログと言うと何かしらのトラウマを思い出したような顔をする大人も居ますが、個人的には黒歴史を恐れるべきではないと思いますね。Twitter でも Instagram でも、伝統的な所では個人サイトでもいいのですが、場所はともかくインターネッ

窓辺の旅行記2024夏 名古屋編2 名古屋市科学館・特別展「毒」

  いつかは毒とか持ってみたい。 どうもこんにちは、無毒マドロイドです。 今回は名古屋市科学館と特別展「毒」のレポートです。  「窓辺の旅行記2024夏」、第二回目に紹介するのは名古屋市科学館です。建物二つに球体のプラネタリウムが挟まれたような独特の見た目で、写真で見たことがあるという方もいらっしゃるのではないでしょうか。今回は特別展のほか、(あまり時間がなかったけど)常設展も見に行ったので、この二つについて書いていきたいと思います。 名古屋市科学館-Googleマップ 〈毒とは何か?〉  「毒」は、令和6年7月13日から9月23日まで開催中の特別展で、そのまま「毒」がテーマになっています。身の回りの毒、意外な毒、そして毒とは何か、毒と人間の関係性、などについて、実物の標本や模型を交えながら解説されています。チケット売り場でまあまあ並んでいたので、クレジットカードを使える方にはチケットの事前購入をお勧めします。チケットを購入して、僕は荷物をそのまま持ってきていたのでコインロッカーを使おうとしたのですが、探してみて驚きました。  周期表?!……ではないようですが、元素記号が並んでいます。いやはや、こういう遊び心はいいですよね。科学館という場所にいるワクワク感が高まります。好きな元素記号のところに入れたいところですが、管理人のバックパックはちょっと入りませんでした……ですが、ご安心ください。これはコインロッカー(小)でして、他の場所にちゃんと中と大もあります。お金が返ってくるやつでよかったですね。管理人が使っているのはコールマンのシールドシリーズの、確か35リットルのやつですが、中のロッカーにおみやげの袋と一緒に問題なく入れられました。  特別展の会場は地下なので、階段を下りていきます。初っ端の「ご挨拶」から既に素晴らしいですね。この会場は一部を除いて写真撮影が可能でしたので、ここからも写真を交えつつ紹介します。  まず来場者を出迎えてくれるのは、チョコレートとアルコールです。そう、この世界は毒に溢れています! 『酒に含まれるアルコールも神経毒の一種です。』いやー素敵ですね。視点を変えればあれも毒、これも毒。みんな毒って大好きですよね。毒は生命の機械的な部分にぴったりとはまる武器であり、それゆえに美しく、また同時に危険です。綺麗なものと危ないものには魅力がありますからね