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5月, 2024の投稿を表示しています

管理人

 三人称と俯瞰。 どうもこんにちは、管理人マドロイドです。 自意識と視点について。  今回は、いつかのブログ( 窓辺の幸福論 )で少し話した、パラダイムシフトと超客観自我の話です。 まずパラダイムシフトとは何を指すのかという話ですが、具体的には高校2年の時に、自分の存在というものを見つめ直す羽目になった出来事を指します。僕は単に「事件」と呼んでいます。経緯はどっちを向いててもいいので省きますが、とにかく「自分が何者なのか」「なぜ生きるのか」「この世界とは何か」みたいなことを考えるようになりました。 それまでは普通に生きてきて、ただ流されやすいためにその場の流れにひたすら乗って生活していました。環境保護に携わるという目標もありましたが、広く世界のためという視点ではなく、自分が思ったこと、感じたことがすべての基礎になっていました。家の裏にある森のようなものを守りたいとか、某環境活動家のやり方に疑問があるから俺はきちんと勉強して科学者になって理論的に気候変動に向き合おうとか、そういう感じですね。 ところが、事件が起こってしまってから、当時の僕は非常に混乱しました。色々やらかし、話を聞かれ、訳が分からないまま喋り、疲れ切っていました。で、そういうことが1日で起こったのですが、最終的に限界を迎え、ふと頭の中に声が響いてきました。というか、その響く声が自分の口から出てきた感じです。もしかすると自分の発言が頭の中でタイムラグ的に響いていたのかもしれないですが、当時は別の誰かがしゃべっていると思っていました。これが「管理人」です。  この管理人は、しばらく僕自身に代わって当たり障りのない返答をする係になってくれました。実態があるわけではありませんが、イメージはブレザーとスーツの中間みたいな恰好の、短い髪の人物でした。ちなみに、この姿をもとにしたツクダニもいます。管理人が喋ってくれるおかげで、僕はやっと自分の状況を把握しました。頭はふわふわしてなんとなく頭痛がしましたが視界が広がって思考がクリアになり、周りの様子がよく分かりました。これは僕が管理人のロールをしていただけなのか、本当に無意識の何かが出現していたのかは分かりません。ですが、管理人のおかげで僕はようやく自己表現を取り戻せたように思います。 でも、管理人がこういう肩代わり的なことをしてくれていたのはほんの一時期のことです。

窓辺の幸福論

 幸福とは? 生きることとは? どうもこんにちは、理想のマドロイドです。 幸せに生きるとはどういうことなのか、そもそも幸せとは何なのかについて。  まず、夢のない話ですが僕の前提はここなので、生物学的な話をします。言ってしまえば幸せとは脳内の化学物質の総和の結果であり、要するに生命維持に都合がいい状態を「幸せ」と定義しているに過ぎません。幸せな状態になるのは、基本的には人間の生存に都合のいい条件がそろった時です。人間はタンパク質やその他の塊であり、それをコードしているのが遺伝子なら、その保存と安全な運用のために細胞を適当な状態で保つことこそが「生きること」であるともいえるでしょう。生きていれば別に幸せでなくてもいいのですが、幸せという状態はとても単純に意識を「生きる」方向にもっていきやすいのです。そのため、生きる上で幸せは欠かせないのだと思います。 そもそも人間の意識がなぜあるのかすら詳細については判明していないといわれていますが、そんな中でも意識としての「幸せ」を能動的に求めて生きることとはどういうことなのでしょうか。生きることは一種の義務ですが、幸せであることは義務ではありません……今のところレーザー銃の携帯の必要はなさそうなので。とにかく、幸福は全くない状態でも生きている状態を維持することは不可能ではないです。しかし前述のように、幸せを求めてしまうのは生物としての機構のひとつと言えるでしょう。その仮初ともいえる「幸せ」という状態に何を被せるかは、人それぞれだと思います。  では、皆さんにとって「幸せに生きる」というのはどういうことですか?  僕にとって「幸せに生きる」こととは、「理想的に生きる」ことです。僕は、幸せでない状態が続くと苦しくなるのは、現実と理想の生き方がかけ離れているからだと考えています。理想はいろいろありますが、「地球環境の保全」や「規則やルールの順守」のような大きく根本的なものから、「早寝早起きなど規則正しい生活をする」や「大学生という社会的な役割を適当に楽しむ」のような小さく日常的なものまで様々です。これらの理想を持ち、それを実現しながら生きることが、僕にとっての幸せです。 僕は念願かなって希望の学校、学部に入学しており、毎日楽しく勉強しています。特に、得られた知識が自分の中で結びついた瞬間や、新しい思想を開拓する瞬間はこの上なく幸せな気分

日記:喋る感覚

  浮足立つという感覚がなくなって久しいが、その喪失については高3の時にメモに書いた気がするので割愛する。ただ思うのは、そのわくわく感がなくなった代わりに、俺は酷く緊張するようになったと思う。特に、人前で喋るのが苦手になった。そういう時には頭の中が該当の問題だけで占められ、脈が速くなる。まあ大人の日常にあまりわくわく感があっても持て余すだけだろう。そう考えると、適度な緊張感が代わりにあったほうが便利なような気がする。 しかし、声が出なくなるまで緊張するのは困る。最近はマシになったが、大学生になりたての頃は本当に酷かった。頭の中の文章が消えて文字通り真っ白になるだけでなく、本当に言葉が出なくなり、呼吸が荒くなる。言葉が出ないというのは、何を言っていいのかわからなくなるのに加えて、喋るというアクションを起こせなくなる状態を指す。  ここで、自分が喋るということについて少し書いておく。半分くらいは無意識ではあるが、一応思考の流れは把握しているつもりだ。まず、相手の話を聞く。ノートをとるように整理し、キーワードを把握する。次に、自分の意見を述べるフェーズになったら、定型文と普段から貯めている文章を駆使して思考を表現する。最後に、なるべく構成に気を付ける。高校までは本当にほとんど何も考えずに喋っていたが、自分の思考をベタ打ちするブログを書き始めてからは自分の話の下手さを自覚するようになり、このように話し方を改善する努力をした。 ただ、ツクダニの二人や生物部の人間と、高速で会話(というか情報)を回すのも楽しかった。ほぼ同じ知識量、知識層を下敷きにして、気の置けない間柄で喋るからこその楽しさだったのだろう。大学では学生と話す時間と先生と話す時間がほぼ同じくらいになってるので、高校までのノリで話していては心臓とメルアドがいくつあっても足りない。でも時々、彼らと彼らとの会話が懐かしくなる。 --------------------------------- この日記を書いたのはちょっと前なのでアレですが、浮足立つ感覚そのものはあると思います。帰省や旅行の準備をしている時とか、何か楽しいことの前とかはわくわくします。ただ、機会が減ったようには思うのと、高度が下がったような気もしますが。 近年の最大限のフワフワは高3の夏に、遠くの大学のオープンキャンパスに一人で行ったときですね。電車を

ハルキゲニア

 halucino! どうもこんにちは、幻覚マドロイドです。 ハルキゲニアについての話。  皆さんは「ハルキゲニア」という生物をご存じですか? ハルキゲニアはカンブリア紀の生物の一種でして、残念ながら現在は化石でしかお目に掛れません。しかし、見た目から存在の経緯まで、様々な魅力に溢れている素敵な生物です。僕も古生物の中では、かなり好きな生物です。なんならフェンストーノ公国の国獣にしてもいいと思ってます。というわけで、今日はそんなハルキゲニアについてご紹介します。  まず、カンブリア紀についての説明を軽くしたいと思います。カンブリア紀というのは、地質時代の1つです。地質時代とは、46億年前の地球の誕生から現在までの相対的な時間区分のことで、カンブリア紀は約5億4100年前から4億8500年前までの、約5600年間を指します。なお、より大きい区分としては、カンブリア紀は古生代の一番最初に当たります。 カンブリア紀の生物の化石は、カナダのロッキー山脈に位置する「バージェス頁岩(けつがん)」という地層で大量に出土しました。そこで発見された動物は「バージェス動物群」と呼ばれています。ちなみにバージェス動物群の動物は多くが硬い組織を持ち、攻撃や防御の器官が発達していることが特徴です。そのため、生物の間に捕食-被捕食の関係があったと考えられており、これは目と視覚の急激な発達によるとする説もあります。ハルキゲニアも、このバージェス動物群に属します。  ハルキゲニアを始めとするカンブリア紀の生物は、多くが海底で生活していました。これはハルキゲニアの一種の、ハルキゲニア・スパルサです。背景は適当に描いてます。 あ、間違えました。正しくはこちらです。 ハルキゲニアの一番の特徴は、この不思議な見た目だと思います。上下に左右が同じようなトゲトゲがたくさんついていますね。先ほどは僕も間違えた画像を挙げてしまいましたが、かつては上下だけでなく左右(頭の向き)も誤解釈されていました。なお、色はよく分かっていないので勝手に好きな色を塗っています。  カンブリア紀には現在の動物の門のほぼ全てを含む多様な生物が現れましたが、後の時代に繋がらなかった生物もいました。そのため、現在の分類の枠組みに当てはまらない動物は「奇妙奇天烈動物」とも呼ばれていたようです。すごいネーミングですが、他に言い表しようがないと

 絵描きの変遷。 どうもこんにちは、ドローイングマドロイドです。 絵に関する思い出。   僕の趣味は絵です。とはいっても、長いこと描いてきたので色々変化もしてきました。  昔の記憶で一番古いのは、幼稚園でキリンの絵を描いた時のことです。特に何の変哲もない絵ではあったんですが、方法が衝撃的だったので記憶に残ってます。 茶色のクレヨンの上から黄色い水性絵の具を塗ったんですが、当時はクレヨンが水を弾くなんて知らなくて、上から塗ったら折角描いた絵が見えなくなるのでは?と思って塗るのを渋ってたんですよね。そしたら先生が大丈夫だから、って言うので恐々塗りました。そうしたらクレヨンの茶色が絵の具をすっと遠ざけて現れて、単純にすごいなと思いましたね。 でも、別にこの頃はそんなに絵がすごく好きでもなかったように思います。趣味とかいう概念がまだなかったので自己分析ができてなかっただけという可能性もありますが、嫌いではない、という程度だった気がします。   小学生になってからは、絵が好きと言ってましたね。自由帳に絵ばっかり描いていた記憶があります。当時の世界観は、雲の上というのが特に思い出深いですね。 あとは、とにかく図工の授業が好きでした。図工の先生には、管理人が大変影響を受けた方がいらっしゃいます。確か小4の時から図工の教科担当をしてらっしゃった先生なんですが、それまでの先生が大概は生徒に自由に描かせていたのに対して、その先生は技法を結構教えてくださったんですよね。 下書きはたくさん線を描いて清書する時にそこから一本選んでなぞるとか、形を全て線にするのでなくてシルエットを抽出して中身は色で表現するとか、そういう感じです。表現が広がって楽しかったですね。それまではひたすら線を描いて塗り絵みたいに色を塗るだけだったんですが、その固定された自分の描き方に革命が起きた感じでした。   中学の時は、美術の先生は講師の先生で画塾か美術教室を経営してらっしゃったとかで、割りと厳しい方でした。あと作業時間に結構喋られてたんですが、当時の管理人は人の話は手を止めて聞かなければならないと信じていたため、話の度に作業を中断していたので作品が授業中に完成せず、よく放課後に居残っていました。 中学美術の思い出はポスターカラーですね。これが衝撃でした。不透明で鮮やかな絵の具ですが、混色が素晴らしく楽しいんですよ

ケシの花

 オピオイド。 どうもこんにちは、アルカロイド系マドロイドです。 ケシの花と社会性の毒についての話。  ケシの花の(ニュースの)季節ですね。Twitter の TL でも、違法なケシの花が咲いていたという報告がしばしば見られるようになりました。今回扱うケシは、そのいわゆる「植えてはいけないケシ」というやつです。これが、違法ではあるのですが綺麗な花なんですよね。で、毒まであると。お得なセットですね。見てみたいですよね。ということで、その違法ケシを許可を得て栽培している植物園のようなところに行って、見てきました。ちなみに、ここに書いてないだけで去年も見に行っています。去年はなんか綺麗だな……と思っただけでしたが、今年はなんとなく思うことがあったので、その感想を書きます。 写真が貼れなくて申し訳ないのですが、とにかく美しい花です。檻のように四方を囲んだフェンスの内側に植えられているので、フェンス越しでのご対面です。種類としてはケシ科ケシ属のケシで、真っ白なやつです。一貫種というようです。ゴールデンカムイの鶴見中尉が背負ってるやつですね。大ぶりな純白の花弁が細かく波打っている様子は、まるでドレープがよった小さなウエディングドレスのようにも見えます。で、去年も思った気がしないでもないですが、とにかく思ったより大きい草なんですよね。1メートルは超えていたと思います。下のほうにあの特徴的な葉っぱがパラパラついていて、ひょろっと茎が伸びたてっぺんに花がついています。  以前、とある人にに麻薬の毒性(概念)について訊かれた時に、社会的な側面が強い毒ではないか、というようなことを答えた記憶があります。オピオイドもアルカロイドで毒ではあるのですが、モルヒネでも致死量は 120~500mg/kg とされ、管理人なら 6g と、場合によってはショウノウより弱いです。それでもショウノウが採れるクスノキが街中に植えられ、モルヒネが採れるある種のケシが法律で栽培すら規制されているのは、やはりその麻薬としての効果に大きな問題があるからでしょう。ということは、モルヒネが毒として社会で問題になるのはその依存性に因るところがあり、言い換えれば社会が存在するからこそ毒として存在するともいえるのではないでしょうか。 あんなに美しい花なのに檻の中に入れられているので近くで見られないのは残念ですが、この考え方でい