スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

早期卒業のすすめ

 4年制大学を3年で卒業して、家族や友人を怖がらせましょう!  どうもこんにちは、RTA in Madoloido です。  早期卒業のメリット・デメリットなどについて。  みなさんは、早期卒業というものをご存じでしょうか。外部のサイトからたどり着かれた方はご存じかもしれませんね。とりあえず、簡単に説明いたしますと、早期卒業というのは通常4年で修了する大学を3年で卒業することです。どういう仕組みかといいますと、4年分の単位(卒業に必要な単位)を3年で取り、さらに卒業研究も終わらせることで卒業要件を3年次終了時点で満たすことで、その時点で卒業できる、ということです。一種のバグ技といえます。  さらに、他大学の事情をあまり知らないのですが、だいたい単位数と卒業要件に加えて成績も求められると思います。一般的には、成績が悪くて卒業できないということはありません。どれだけ成績が良くても悪くても、単位数が揃えば卒業できます。GPA 3で124単位の人も、GPA4で124単位の人も、卒業に必要な単位が124単位なら卒業できるわけですね。逆に126単位必要だと、2人とも卒業できません。一方、早期卒業の場合は、早期卒業を許可する学部が求める成績の水準を満たさなければ卒業できません。  また、さきほどは省きましたが、3年間で単位をたくさん取るという部分にも成績が関係してきます。このへんも規則を定めている学部・大学によって違うと思いますが、管理人の学部では、成績が一定以上だと次の年度で単位取得数の上限が解放され上の年次が対象の授業を履修できるようになっていました。これを利用すると、4年分の単位を3年で取ることができる(早期卒業)、という仕組みです。  そもそも、近年は単位というか講義というものがシステム上で厳格に管理されており、多くの大学では年次で取得できる単位の上限や、講義を受講できる年次が定められています。例えば、1年生は年間40単位まで取れますよとか、環境なんとか学はこの学部の3年生以上が対象ですよとか、そういうことです。この辺は各学部・大学の学生便覧とかポータルサイトに書いてあると思います。君は成績がいいからこの辺の取り決めを無視していいよ! というのが、早期卒業のカラクリになるわけです。  ちなみに、よく間違われるのですが、早期卒業は飛び入学(飛び級)とは違います。飛び入学は字...

イイダコ

  チュウチュウ……  どうもこんにちは、無脊椎マドロイドです。  イイダコさんと管理人の話。  今回はイイダコの話です。先日、知り合いにイイダコを貰いました。管理人がイイダコの存在を認識してイイダコイイダコと言っていたので、見かねて釣ってくれたんですね。ありがとうございます。イイダコというのは小型のタコでして、メスが卵を持っているのが頭に米粒が詰まっているように見えるので、イイダコというようです。  ところでイイダコ釣りですが、これ仕掛けにタコの絵が描いてあるんですよね。これが面白いと思いまして、面白いというかちょっとサイコパスというか……人間用のワナに二次元キャラのイラストとか入ってる感じですかね。いや、親近感とか湧いていいのかもしれない。イイダコ的にはどうなんでしょうか。管理人のエアプ釣り知識では釣りの仕掛けは対象に対して餌の形をしているものだと思っていましたが、イイダコは白いものに引き寄せられる性質があるそうでして。いや自分の絵が描いてあるものに引き寄せられる気分とは……抱き枕が落ちてるようなものなのか?  ということで、イイダコさんです。可愛い! 手のひらサイズでして、釣られた割には元気なものです。ミニチュアサイズのタコといった感じですね。スーパーに売っている腕を見ると、元のタコはどれだけ大きかったんだと思いますが、これは大変可愛いサイズです。ですが、食べるのは次の日なので一旦放置です。しばらく仲良くしようね。  隠れ家? としてカップを入れてみました。一瞬入ってくれたのですが、すぐに出てきました。お気に召さなかった様子。あと、水深が浅かったので一応酒瓶を入れてかさ増ししてみます。間に入ったようです。   Oh! イイダコさん箱と瓶の隙間 Fit……カワイイカワイイね。  握手をしてみようとしますが、してくれません。明日食べる人ですよ~。  頭を撫でてみたら、めちゃめちゃ鳥肌みたいなのが立っていました。いや毛とかないから鳥肌じゃないだろうけど……なんだこれ。頭を守るポーズになっていますね。あと、よく見たら目の下(?)にまつ毛みたいなのがありました。これも何なんだろう。  次の日は大学に行って、帰ってきてから捌くことにしました。一日放置で大丈夫かなと思いましたが、帰ってきてからも元気ですね。相変わらず可愛いね。  ということで、捌いていきます。目の中央に神経...

感謝号

 いつもありがとうございます。  皆さんこんにちは、窓辺のマドロイドです。  読者の皆さんへのお礼について。  時が経つのは速いもので、このブログも立ち上げ4年目に迫ろうとしています。高2が終わる春からなので、3年半くらいになりますかね。途切れながらも色々書いてきましたが、この前の前の投稿で、ついに記念すべき 100投稿目でした。おめでとう! ありがとうございます。本当は 100投稿目で何か言うべきだったんですが、例によってあんまり明るい話題でもなく、投稿数を気にしていなかったこともあり忘れていました。ということで、改めて読者の皆さんにここでお礼を言わせていただこうと思います。いつもありがとうございます!  また、最近はシンガポールから多くのアクセスをいただいておりまして、こちらもありがとうございます。このブログはしばしば海外からのアクセスがあるのですが、今回はかなり短期間に多く投稿を見てくださったこともあるので、是非お礼をしたいと思いまして。なぜ日本語の変なブログが検索に引っ掛かったのかとか、どうして短期間でたくさん読んでくださったのだろうかとか気になることもありますが、よろしければこれからもご覧ください。そして日本を始めとする世界各国の皆様も、いつもありがとうございます。フェンストーノ公国からお礼を申し上げます。Dankon el Fenstono!  コメントなどもいつでもお待ちしています。  ということで、今日はツクダニのイラストです。Twitter の方をログアウトしていることもあるので、ブログにもイラストを貼っていきたいと思います。今回はヴェスパー改めアズーラ(Azuhrah)、サイダー改めシャーディラ(Shdhira)のコンビです。ツクダニの改名作業もようやくあと5名を残すところとなり、終わりが見えてきました。もともとは殆どが英和辞典を捲って名付けられたツクダニですが、マドラー(Muddler)をエスペラント風に改名したいとなった時に、他のツクダニも色んな言語で名前を付けたら面白いんじゃない? ということになり、それぞれ別の言語での名づけが始まりました。ヘーチラグからは元の名前がないので、そのまま各言語を直で名付けていますね。  改名の際には元の名前の由来や意味、響きのどれかは寄せるようにしています。例えば、ガーデニングが趣味という設定...

実践自認論

  前向きな呪い。  どうもこんにちは、意識低い系マドロイドです。  自認と行動の話。  皆さんは意識高い系ですか? いや、高かったらタイパも得るものも何もない、こんな変なブログを読んでいらっしゃらないかもしれませんが……しかし管理人のリアルな環境には、学部の特性上か本物の意識高い系の人々が居ます。(少なくとも管理人の観測範囲では)自虐みたいな皮肉を言うこともなく、素直に節電をしリサイクルを心がけ、環境学をまっすぐに捉えて人々と社会の幸せを願い、前向きに世界は良くなると考えている感じの人々です。まぁ割合としては、何となく入学して公務員とか目指してる人の方が多いと思うんですが、こういう人々も居ます。ワァ……  対する管理人は、意識低い系です。基本的に横着で、洗濯物を畳むロボットが欲しいと思っています。あと書類を整理するロボットと、閉め忘れた引き出しをいちいち閉めてくれるロボットと、定期的に布団とカーテンを洗ってくれるロボット。理想はやたら高いし、それをなんとか実現させようと日々頑張って暮らしているようにも見えるのですが、なんか結局諦めて実践論とか言っている人間です。理想的に生きるには本体のスペックが足りないというか、見えている範囲の現実が狭いというか、真の意味での真面目さが足りないというか。その限られた範囲でも理想を体現するのが幸福という思想を持っていますが、いかんせん実践論に落とし込まないとやっていられないことも多いため、しばしば苦しんで泣くようです。力が欲しい。  しかし、この願いは意外と簡単に叶えられます。ボールとか金貨とかをコレクションする趣味はない一般人ですが、旅も修行も暴力もなしで簡単に手に入れられる、願いを叶える魔法のアイテムがあるのです。何を使うかというと、これが前向きな呪いです。これを推進力にすることで、本来なら高2から引きこもりになりかねなかった人間でも、まともに大学に通えます。すごい!   皆様も気になっているところでしょう。前向きな呪いとは何か? これは別の言い方をすれば、ポジティブな自己暗示です。例を出したほうが分かりやすいですね。例えば、管理人は、比較的「良い子」キャラで生きてきました。優等生ではないんですが問題も起こさず、大人しく言われたことをやりルールを守るという生き方です。まあ高校生の頃は色々ありましたが、校内を裸足...

妄想と現実

 どう考えてもおかしい。 どうもこんにちは、完全感覚マドロイドです。 自分の感覚の変遷についての話。  どこかで話したような気もするのですが、見つからなかったので書きます。果たしてこういう人が他に居るのか、ということはよく分からないのですが、管理人は自分の感覚が変化たという認識がはっきりとあります。この感覚は、触覚とか嗅覚とかではなく、感情が動かされるような、周りの世界を頭の中で認識・処理する時の感覚です。何かを見て何かを思うときの、その見方と考え方が、管理人はここ数年で大きく変わったと思います。  具体的に自覚したのは、高校2年の冬頃です。タイミングはいくつかあったのですが、分かりやすいものを紹介します。ある時管理人は、家族でテレビ中継されていた冬季オリンピックのフィギュアスケートを見ていました。管理人の母親はフィギュアスケートが好きらしいので過去にも見たことはあったのですが、みんな同じようなことをしていて非常に退屈な上に緊張感だけ無駄に伝わってきて、どちらかというと苦手でした。ところが、なんとなく羽生結弦選手の演技を見ていて、自分でも驚くほど感動しました。  それまでの管理人は「感動」というものが苦手でした。どうやったら感動できるのか分からなかったし、感動が何なのか分からないし、しかし世間では感動というものが異様に持てはやされているしで、理解できない存在が市民権を得ていることをずっと気味が悪いと思っていました。24時間テレビとかも苦手でしたね。もちろん、管理人は無駄に感受性が高かったので悲しい話を読むと泣くこともありましたが、それは物語に感動している訳でも登場人物に共感している訳でもなく、ただ自分の身に起こっていることだと無意識に勘違いをしていただけです。  ところが、その時はスケートを客観的に見ることができたというか、作品として認識できたんですよね。それで、音楽に乗せた滑らかな動き、柔らかい着地、衣装のはためき、浮かぶようなジャンプなど、全てを一体として一つの芸術のように感じられたというか。それに、同じ動きでも人によって表現の方法が異なるし、音楽の選定や衣装の違いで全くの別物にすら見えます。これは素晴らしい、面白い、と思ったんですよね。そのときの視界が開けたような爽快感、幸福観は今でも覚えています。  一方、これは自分が感動しているな、と悟った瞬間には、軽い恐...

日記:大阪・関西万博

 万博に行く。飛行機に乗るが、なかなか出ない。なんでも、前の便の影響で遅れているそうだ。15分ほど遅れて出発した。関西空港に向かうが、港湾の上空で方向転換をするようだ。窓からは万博のリングが見える。時間通りに着きそうな雰囲気のアナウンスをしつつ、結局15分遅れで到着。予約したバスには乗れなかった……。ここで建物まで歩く! 接続バス乗場もスムーズだった。列車の乗り換えも大丈夫。しかし、この次の乗り換えに手こずった。同じ駅だが会社が違うのでホームが違う。都会は厄介である。  乗り換えた電車は大雨で遅れていたが、新しく予約したバスに乗るために桜島まで向かう。バスの時間すら過ぎていたが、乗せてもらえたので西ゲートに向かう。大屋根リングをぐるっと回るのだが、外側の壁の側面にこみゃくが描いてある。可愛い。これはデザインシステムであり柄のはずだが、人々に愛されてキャラクターの域に達しており、非常に興味深いと思う。目が描いてあると、多少愛着が湧きやすくなったりするのだろうか。  17時ごろ、どうにか万博会場に到着。各国の国旗がたなびき、色とりどりで美しい。西ゲートは驚くほどスムーズで、少しも待たずに入場できた。ひとまずオーストリア館を目指す。途中で通った静けさの森は、思ったより森だった。もっと適当に木とか置いただけだと思っていたが、抜かれる予定だった公園の木々を移植し、地元の植生の雑草を吹き付けているらしい。ランドスケープ関係のデザイナーが嫌うのは虫と不確実性であり、それらの象徴にも見える雑草なんてみんな大嫌いなのではないかと思っていたが、これは革新的なデザインなのではないだろうか。自然を再生したのではないが、明らかに自然環境がデザインされている。一方、分かりやすいアートを見てね! みたいな部分もあり、自然そのものに喜ぶ人間はまだ少数派なのかと思う。  オーストリア館は、大きく国旗が示されていて分かりやすい。建物のデザインとしても斬新であり、あの CG のイメージ図がそのまま再現されていてすごい。目立つからか、一時期は大屋根リングの土台が崩れたみたいな記事の見出しの写真によく使われていて、この建物が崩れたみたいになっていてちょっとかわいそうだった印象がある。近くに行くと、列の最後尾は締め切られている。しかもレストランも営業終了とか書いてある。どういうことかと思っていたら、区切られて...

エンタメと環境

 環境は思想か。  どうもこんにちは、見習い環境屋マドロイドです。  生きづらいね?  本日は早速ですが、イラストを載せます。  珍しくファンアートですね。こちらは「ラブライブ!」シリーズの新作である『イキヅライブ! LOVELIVE! BLUEBIRD』のキャラクターの1人、山田真緑さんです。今回はこの山田さんについて、環境屋見習いとして色々思うことがありまして、これまた珍しくタイムリーなブログになります。  まずこの方をどこで知ったのかですが、もちろん Twitter です。万年ツイッタラーの皆様も、もちろんご存じかと思います。山田さんは環境問題について強い危機感を持っており、自然環境保護についての活動をされている高校1年生……という設定のようです( イキヅライブ! LOVELIVE! BLUEBIRD 公式サイト より、以下「公式サイト」)。この設定が物議を醸しているようで、どちらかというと炎上に近いような反応をされているようです。この辺りの構造については管理人も色々言いたいことがありますが、一旦キャラデザの話をさせてください。山田さんが可愛すぎるので。  前述のとおり、管理人は Twitter でこの方のことを知りました。ただ、「山田真緑」というキャラの名前はよく出てきたのですが、肝心の画像はなかなか流れてこなかったんですよね。やはり見た目も気になったので、公式サイトに行ってみました。うわー可愛い! 管理人はラブライブ! シリーズについては、なんか瞳が丸くてキラキラしている程度のイメージしかなかったのですが、やっぱり可愛い絵柄ですよね。管理人が描くと管理人の絵柄になってしまうのですが、それでも素敵なキャラデザをしています。服と髪型が好きです。あと太眉も素晴らしい。管理人はこういうおっとりした感じのキャラも好きなんですが、山田さんは趣味に共通点があることも相まって、結構刺さりました。あと緑髪も好き。  という語りは一旦ここまでで置いておいて、本題に移りましょう。環境屋見習いとして、山田氏のキャラ構成に何を思うか? という話です。なんか逆茂木みたいな構成で読みにくいかと思いますが、ツイートがたくさん並んでいると思って読んでください。 ・思想が強いという評価/環境思想について  まず、良くも悪くも片寄ったイメージの環境活動家という感じですね。確かに、日本で一般的に...

楽園の庭園論

 一家におひとつ、手軽な楽園思想はいかがでしょうか。  どうもこんにちは、湿地帯マドロイドです。  庭の話。  お久し振りです、バイトとか帰省とかをしていたらもうすぐ春休みが終わりそうなマドロイドです。最近眼鏡を新調しました(自己紹介二回目)。  さて皆様、お元気でしょうか。新しい年度が始まりますね。管理人はそろそろ環境屋も3年目に突入しかけており、そろそろ見習いから昇格するために研究のことなどを考えなければいけない時期になってきました。まあ、ずっと環境とか研究者とか言い続けてきたので、やっとここまでたどり着いたか、というような感覚もあります。  ところで、具体的にお前は何をする気になったんだ? という話になりますと、環境計画・緑地(庭園含む)デザイン……みたいなところに落ち着きつつあります。自然を守りたい、生物の保全に貢献するために科学者になりたい、みたいなところから始まった管理人ですが、そのうち倫理的な観点で躓いて哲学に傾倒していったことは、読者の皆様もよくご存じかと思います。ということで、管理人は大学に入ってしばらくは哲学者になる気でいたのですが、今度は計画学・環境デザインに出会って世界観が変わります。  それまでは、哲学を勉強して環境関連の問いに向き合い、科学と人間の隙間みたいな問題について考えていこうと思っていました。しかし、人間側にもっと根本的なアプローチが必要なのではないか、思想や本というものはこの社会でどれだけの表面的な影響力を持っているのだろうか、というような懸念もありました。始める前から心配事が多すぎるいつもの管理人ですが、自分が納得しないと一生そこで停滞しかねないので、前進するためにはそれらに向き合わないとどうしようもないんですね。  というところで出現したのが、まず計画学です。この授業では環境計画の歴史などについて学んだのですが、重要な建築家や計画学者の名前や思想も出てきました。すると、「このような環境が適切です」という思想に基づいて、実際に設計をしたり街を造ったりするわけですよ。管理人は、これにいたく感動しました。レッチワースとか、ほぼ哲学書みたいなものですよ。思想を形にすれば、環境と人間に直接影響を及ぼすことができるのかもしれないという可能性を見て、管理人の実践哲学(実践とか真則とかのアレ)を管理している部分の心が揺さぶられた訳です。  ...

窓辺のバレンタイン2025

 ハッピーバレンタインデー!  どうもこんにちは、クッキーマドロイドです。  バレンタインの話。  みなさんチョコ食べてますか? バレンタインですね。管理人は昨日クッキーを大量に作り、チョコを作り、今日は配った残りを食べました。いやー、合法で甘いものを大量に作って食べられる日というのは素晴らしいですね。年に1回くらいあってもらわないと困ります。ホワイトデー? バレンタインに貰えるわけではないので、管理人にはないです……ハイ。  それはさておき、今年も皆様にバレンタインイラストがあります。2025年はパラレルヘーチラグです。  これはヘーチラグのパラレルですね。Twitter にも載せてますが、こちらではその設定や裏話などを語っていこうと思います。まずヘーチラグですが、ついでにここにも載せておきましょう。  こういうキャラです。モチーフは魔法少女(概念)ということで、それぞれ若干不完全な魔法少女をイメージしてデザインしています。サブ要素は芸術家ですが、メインは魔法少女です。オルトは魔法少女擬きって感じですね。キャラ設定を引っ張ってくると、こんな感じです。 名前/正式名称 イメージカラー 武器 好きなフレーバー 一人称/二人称 「自己紹介」 「喜怒哀楽」 喋り方の特徴など (対戦ゲームのキャラだったら?) 「上限解放」 「勝利」 「敗北」 戦闘スタイル ヘーチラグ/Hétillag 暗いオレンジ(明るい茶色) ステッキ アプリコット 私(わたし)/君 「ヘーチラグです~よろしくお願いします!」 「え~やったー!」 「えっ……えええ……?!」 「そんな……そっかぁ」 「すっごーい!!」 語尾は若干伸ばし気味、ちょっとふわっとした明るい口調。 「そろそろ本気でいくよー!」 「お、やった! 嬉しい~!」 「あー、やっちゃった。お疲れ~」 ステッキで殴る近接攻撃。一撃は軽いが連続で攻撃する。素早さは高め、体力はそこそこ。 遠隔攻撃(ステッキの投擲)。投げたステッキを手元に回収する魔法だけ使えるらしい。  ステッキを投げてる時点で、まぁ魔法少女ではないですね。Twitter と pixiv に載せた画像では、ステッキを振りかぶっているものもあったと思います。魔法少女にも色々ありますが……とにかく、そういうところでちょっと印象を...

日記:許容されない人間

 朝、大学に向かっていたら、全く面識のない通行人に「死んでほしい、早く死んでほしい」と言われた。言われたというか、吐き捨てられた。近くに他に人がいたでもないし、通行人は普通にこちらを向いていたので、どうも管理人が言われたらしい。ちょっとフリーズしたが、頭の中には「そうですよね、すみません」しか浮かばなかった。しかし大学には行かないといけないし、とりあえずまた歩き始めた。通行人はとっくに歩き去っていた。  やっぱりだめなのか、と思って悲しくなった。死んだら全てが解決する気がしていた(前)管理人はもういないはずだし、このところはちゃんと生きることに希望を持ち、意味を考え、論理的に生きていたはずだ。でも、やっぱりだめなのか。誰かに少し干渉されただけで、崩れるようなものなのか。そういう思想の脆さが悲しかったし、死なないといけないこともある気がするのが悲しかった。今まで積み上げてきた色々な思考は、言い訳に過ぎなかったのだろうか。本当は、まだ根本的な問いに向き合えていなかったのだろうか。  許容する社会と人間がある一方で、そのすぐ裏側には許容しない社会と人間がいる。管理人は、彼に何をしたのだろうか。特に思い付かない。しかし、例えば彼がエコ・ファシズム的な考えの支持者だったとしたら、生産性がなさそうな大学生の管理人を見て殺意が湧くかもしれない。いや、そんなことは関係ない。謎の許容にも意味なんてないのだから、謎の不寛容にも意味なんてないだろう。ただ、管理人に死んでほしいと思う人がそこにいただけだ。そして、管理人が今まで作ってきた哲学のようなものが、また崩れてしまっただけだ。仕方ない。  ただ今回は、やっぱりもう少し生きていたいと思って泣いていた。自分の理念が破壊されたあとでも、死にたくないと思った。自分の中で反響する「死んでほしい」と「死んだ方がいい」に抵抗した。思想が破壊され尽くしたわけではなかったのだろう。いや、そうそう破壊されても困る。今回は、あれだけ時間をかけて形にして、体裁を整えて丁寧に保管してきたのだ。一言二言で粉砕されるものではない。ちょっと欠けたし、それは悲しいけど。まだ死にたくない。生きる価値があるとは言っていない。でも、まだ死にたくない。  生きることはほとんど完全な不条理だ。生きることに理由なんてない。あってもそれは、形容的な遺伝子の呼び声でしかない。社会とか...

  管理人の愛は重いらしい。時々言われるので、そうなのだろう。しかし、80億の人間ともっと多くの生物、地球環境、それに自分のと他所の創作キャラの絡みなんかを丸ごと愛せるレベルでなければ、管理人は環境屋をやっていけないようにも思う。ただ、これは別に無理に愛を作り出している訳ではない。愛とは何か。これは、考えること、思うこと、想像すること、形にすること、すなわち思想だと思う。  哲学がフィロソフィア、すなわち知を愛することであるように、愛とは原動力である。そして、哲学という営みの根本にあるのが人間の考えるはたらきであるならば、愛は人間の思索であり思想だろう。何かを考えているとき、そこには何かしらの愛が発生するのではないだろうか。  もしそうでなければ、その時には人間として精神的な危機の状態にあるのかもしれない。何かを積極的に考えて想像することは、人間に特有の行動だ。その原動力が愛なら、愛がなく限りなく機械的な情報処理に近い思考は、人間的ではないだろう。それはおそらく、ほとんど受け身に何かの様式に則って考えている、もしくは生物としての本能に従ってプログラム的に動いているに過ぎないのだろう。  そして、そのような思考を形にすることで、愛はきっと確立される。思考といっても、思想として纏まらない考えや、自分の中に秘めている想いというものもあるだろう。それらが全くもって愛ではないとは言えないとは思うが、やはり何かしらの表現によって形にしなければ、対象に示すことができる愛にはならないのではないだろうか。  愛には形がある。それは、思想を思想として表現できるということである。もし表現できない思考があったとしたならば、それは場合によっては恋なのかもしれない。恋は一方的だ。そして、形をとらない思考、すなわち原動力の源は高カロリーなエネルギーに近いのではないだろうか。恋とは動力源であり、エンジンに対するガソリンである。それ単体では危険で、扱いづらい。しかし、爆発的な可能性も持っているのだろう。  以上から、愛とは思想であり、地球環境と生物のために考えている管理人の愛はやはり地球規模である。1人の人間として、愛していたいと思うし、愛されたいとも思う。贅沢を言えば、誰かの思想を、愛を尊重したいと思うし、自分の思想も誰かに大切にされてほしいと思う。 __________________ ...

日記:成人式2025

 二十歳の集いもとい成人式に行った。年々、行事ごとに対する緊張感というか実感が薄れていくのでどうだろうと思っていたが、案外楽しいものだった気がする。もともとは、課題も期末テストも終わっていないのに実家に帰ることは考えられず、また写真撮影は夏の帰省で済ませたので、成人式には出席しない予定だった。しかし、住民票を移しているほうの自治体から案内が来たので、式典だけでも行ってみるかと思って参加した。  会場周辺には、色とりどりの振袖や華やかなスーツ姿の新成人が溢れている。管理人は、バイトなどで意外と活躍している、何の変哲もないブラックスーツで会場に入った。式典は(おそらく)ごく普通のものだった。自治体の歌のようなものがあって面白かった。大学に入学してから住み始めた地域なので当然ながら知らなかったが、なにやら明るいいい歌のように思えた。いや、そもそも帰省せずに大学の方の自治体の成人式に出る方が珍しいかもしれない。相変わらず一人だったが、周囲の祝賀ムードを半分他人事のように眺めながら、これも一生に一度か、と思った。  進学や就職を期に転出していた人も多かったのだろう。式典が終わった会場内は、再開を喜び合う声で溢れていた。管理人はというと、正直なところ、それを恐れて地元の成人式に行かなかったところがある。小学校時代の同級生は、おそらく半分くらいが就職して、立派に働いているのだろう。親に学費を出してもらって大学に行っている分際で、課題も終わらせずに彼らに会うことはできないと思った。  これはただ個人の信条だが、そもそも管理人はあの狭いコミュニティのアウトサイダーであったため、いまだに何となく輪に入るのが気まずいという面もある。それに、小学校時代の管理人は未熟者で世の中のことがよく分かっておらず、皆様に多大なご迷惑をかけてきた。よく泣いていたし、空気を読めずに場を乱していた。それも管理人としては、まだ反省しきれていない。それが申し訳ない。いや、あの頃の管理人はもはや存在しないし自分でも理解ができないし、過ぎ去ったことでもあるので謝罪なんて不可能なのかもしれない。だから、今は彼らに会わないことが管理人なりの償いだと思う。  一方で、なぜか地元の成人式に出席していた管理人の親から、彼らの楽しそうな集合写真が送られてきた。小学校卒業以来ほとんど会っていないような人も居たが、全員顔を見分けら...

窓辺に於ける思考 解説など

 出窓はいいぞ。  どうもこんにちは、窓辺のマドロイドです。  「気分は上々106」で頒布した『窓辺に於ける思考』についての解説など。  まずは今年も、新年あけましておめでとうございます。今年もインターネットの端っこで活動する予定のこのブログを、どうぞよろしくお願いいたします。  ありがたいことに、なんとか昨年も本を出すことができました。相変わらずコピー本ですが、今回も楽しい本が出来上がっているのではないでしょうか。  では、各文章の解説に入る前に、題名や章タイトルの解説をしたいと思います。今回の本の題名は『窓辺に於ける思考』ですが、実は表紙の下にはエスペラントの題名も載っています。『Apudfenestra Pensado』ですね。意味は「窓辺の思考」なので、同じです。窓辺という単語は、いつもお世話になっている エスペラント辞書 のサイトで検索したけれど出てこなかったので、海辺(apudmara)という単語を参考にしながら「窓辺(apudfenestra)」という単語を作ってみたものです。エスペラントはこういうところが面白いですね。  章の題名は、今回は「幸福」「ユートピア」「夢」「未来」、そしてエッセイ「四季」になっています。前回の火星論では「宇宙」「世界」「フェンストーノ公国」「窓辺」でしたね。これは環境分野でもよく言われる虫の目鳥の目的な感覚をイメージしたものですが、今回の章タイトルは、明るく元気な感じにしてみました。(当社比)希望に溢れた内容の文章が多かったですからね。ええ。エッセイは、なんとなく集めてみたら四季が揃っているなと思ったので、そのまま採用しました。四季の感覚は現代日本に即しています……一応。  さて、ここからは各文章の解説です。 ・窓辺の幸福論  お前が幸福とか言い出すと雲行きが怪しい……というのは、火星論の最後の文章だった「環境屋と人生」とかをお読みになった皆様に思われているかもしれないなと思いながら書きました。なんというか、結局管理人は完璧主義で理想論者的な傾向があるのですが、なんとかこの世界で生きていくために、生活者ベースの判断で妥協しているというところがあると思うんですよね。まあ人生、結局そんなものなのかもしれません……少なくとも管理人にとっては。  あと、「実践真則」とか「真則(Verego)」とかいう謎の用語が突然出てきましたが、...

日記:宇宙船と冬

 高校1年の冬、友達に勧められたのがきっかけでレイ・ブラッドベリを知った。彼は蔵書から短編集を一冊貸してくれたので、それを読んだ。題名は忘れてしまったが、年季の入った文庫本特有の儚さというか、軽やかさと繊細さと重さを凝縮したような本だった。うーん、題名……ざっと著作を調べたところ、『10月はたそがれの国』が印象としては一番近い気がする。  そういえば、夏には 「異邦人と夏」 という日記も書いていた。カミュの印象は夏だが、ブラッドベリの印象は冬らしい。白い霧がかかったような、薄い散乱光で満たされた森の中、ひんやりと冷たい空気、木々の暗い影と足元で音を立てる乾いた落ち葉と、下り坂の向こうの透明な茶色の沼地。そういうイメージがある。昔読んだ本の内容もほとんど覚えていないし、今読んでいる本もまだ途中だが、イメージは変わっていない。  俺は何を勧めたっけ。残念なことに、そういうことを書いていたスマホのメモ帳が機種変更をしたら空になってしまった。『ブンとフン』とかだった気がする。どうしてこんなに人を選ぶ本を勧めてしまったのか理解しかねる。確か、『虐殺器官』、『きつねのはなし』も勧められて読んだ。あとは何だろう。非常に印象に残っている話もあるのだが、題名が思い出せない。内容を言ってしまうとネタバレになるので言えない。  しかし、何だったんだろうな。分からない。ただ、大学に入ってみたら、周りの人間に読書家が大勢いた高校時代は非常に恵まれていたことに気付いた。読書というのも膨大な数がある趣味の1つであって、大学生でも図書館では勉強しかしないとか、参考文献しか読まないとか、そもそも図書館に行かないとかいう人も案外多い。  広大な本の世界で、自分の知らない扉を教えてくれる友人というものは有難い存在だったのだ。そのことに気付けていなかった。あと、今見れば非常に好みの分かりやすい選書をされていると思う。この嗜好に合いそうな本を自分が知らなかったのも、今になって残念に感じる。今の自分なら、彼にどんな本を勧められるだろうか。  なるほど、読書というものは時間がかかり、タイパ至上主義の現代人には敬遠されるのかもしれない。でも、読書で深まる世界があり、読書をする人との交流で広がる世界がある。著者の数、本の数、読者の数だけ世界がある。こういう情報は時間というコストを払ってでも手に入れたいものだと思う。...

建国記念日

 Saluton! どうもこんにちは、自称君主マドロイドです。 フェンストーノ公国の建国記念日の話。  お久しぶりです。何か色々重なって忙しすぎるので、レポート以外にまともな文章を全然書けていません。あー文章書きたい。しかし、ようやく秋らしくなってきましたね。最高気温が下がってきて、空は高く、日は傾き、管理人の好きな季節です。ということで、本日を建国記念日ということにします。いつかも書いた気がしますが、建国記念日って決まってなかったんですよね。いやー、欲しかったんですよ。建国記念日。  ということで、今日から正式に(?)国です。相変わらず未承認国家ですが、記念日ができるとそれらしくなりますね。記念日以前にも国そのものは存在していたというパターンも多いですし、うちもそういうパターンということにしておこうと思います。記念日っていいですね。フェンストーノ公国は祝日のはずです。管理人は日本の大学に留学(?)中なので休みではないのですが……来年から、国民の皆様は気が向いたら有給とか取って祝ってください。  そういえば、先日は管理人の誕生日だったのですが、奇特な隣人がフェンストーノ国旗(丸形)の石鹸をくれまして、非常に嬉しかったです。入国の予定はないとのことですが、名誉フェンストーノ国民とかに認定したいものです。いつか公式グッズ化して国民の皆様にもご覧に入れたいのですが、これがなかなか手間が掛かっているものでして、量産はできないようです。しかし、こういうものを手にすると君主ごっこというか、自国肯定感のようなものが満たされますね。  あと、最近やってた創作がありまして、それを近々進めたいと思っています。詳細は Twitter で……なのですが、この前から Twitter で始まった AI 学習を避けるために、創作アカウント(Mado)に鍵をかけたんですよね。しかし、よほど怪しくなければ通すのでご安心ください。もしくは、こちらにも置きに来るという方針にするかもしれません。とにかく、何かを描いてから考えます。  ということで、建国記念日とお知らせでした。 それではまた。

日記:彗星症候群

  公園で選挙の演説をしていた。人が居るとああいうことができるらしい。人が居ないとどうなるのか? 選挙カーのほうから来る。中身が降りてきて、どうぞよろしく、とか言いに来る。昔は危ないおじさんだと思っていたが、ある時、政治家の一種らしいということに気付いた。管理人はというと、送迎を待っていた大きめの駅の前で市議会選の候補者を論破してしまってから、投票というものは慎重にしないといけないんだなと思っている。見るからにダメそうな人を落とすために、マシな人を選ぶ必要があるというか。  それはともかく、選挙というものに初めて行く。日本は民主主義らしいので、二重国籍保持者(仮)としては権利を行使しないわけにはいかない。隣国が傾いても困るからな。昔は若かったので、政治家になれば日本の環境くらいは改善されるのでは? とか思っていた時期もあったが、どうやら政治はまぁまぁ面白いが政治家の社会は楽しいものでもないらしいということに気付いてから、ただの有権者でいることにした。新聞は偉大(な面もある)。  そんなわけで地上はゴタゴタしているが、夜空では8万年に1回の天体ショーが絶賛開催中らしい。今回近付いているのは紫金山・アトラス彗星という星で、太陽に接近するのは8万年振りということだ。ただし、惑星などの引力の影響を受けて軌道が変わったので今後は太陽系の外に出ていってしまい、戻ってくることはないらしい。今回で崩れてしまう可能性もあるらしく、ダイナミックながら儚い存在だと思う。  そもそも星空の輝きというものが、江戸時代に光ったものが今届いているというようなものだ。光の速さで何十、何百年という遥かな宇宙の向こうで、核融合反応によって燃え続ける星々の、遠い昔の輝きを見ている。夜空のきらめきは化学的なガスの爆発である一方、空間が隔てて時間が繋げる恒星からのメッセージのようでもあると思う。初めまして、はるばる地球へようこそ。  底なしにも思える暗い宇宙の果て、輝く恒星の盛大な化学反応が起き続ける遠い銀河、広大な太陽系、その中にぽつんと浮かぶ水の惑星である46億歳の地球、そして8万年の時を経て再会した彗星、……我々人間のなんとちっぽけなことだろうか。高々100年ほどの寿命しかない内の20年くらいしか生きていない1生命体が悩んでいたって意味はないんだろうなと思いつつ、なんか年金とか払わないといけな...

日記:生物屋と倫理

  オカヤドカリを食べたユーチューバーが炎上している。それ自体は自業自得だろ、としか思っていなかったが、その流れでオカヤドカリの飼育法について調べていて、ある販売業者のホームページにたどり着いた。その業者は飼えなくなったオカヤドカリを浜に返す活動(里帰り)をしているらしく、それについて反論してきた人とのやり取りを載せているページがあった。  相手の人は文章の書き方や主張の根拠については不思議な部分もあったが、しかし、まあ言っていることは分かった。確かに、里帰りは返す場所を間違えれば遺伝的に生態系の攪乱に繋がる。完璧に個体と出身を特定できるものでもないだろう。さらに、人間が一定期間育てた生物を野生に返すことは、自然に(いらない方向性で)人為的な影響が及んでいる状態ともいえるかもしれない。ということは、採らないで済むならその方がいいということもいえる。  ただ、こういう生態系への悪影響とかいう科学的なデータに基づく環境全体の価値に関わる話をしておいて、小さな命という言い方をするのはどうなんだろうか、と思う。またこれは俺のエコファシズム的側面が出てしまう悪いところだが、命に大小なんてないし、そもそも命って何なんだよとも思う。確かに、オカヤドカリを捕まえてきて飼うのは人間のエゴだ。しかし、我々人間は日々生物を殺して生きている。優先度というものはもちろんあるが、それはどこまでが許されるラインでどこまでが許されないラインなのだろうか。  生物を飼うことが趣味の人が一定数いる。植物も生物なので、一般のイメージとは違うかもしれないが、俺もその一人だと思っている。趣味なので当然衣食住に比べれば優先度は低く、その程度のことに生物を利用するなという意見もあるかもしれない。しかし、その殺すなという倫理も人間が言う限りは人間の倫理でしかなく、殺さないで納得するのは人間だけである……いや、それが人間の社会に必要なのか。この辺は2年環境学をやってきて、仕方ないのかなと思えるようになってきた。所詮、この社会は人間の社会であり、人間のためのルール、倫理、考え方を必要としている。その違和感は忘れないようにしたいが、実際問題はそんなところである。  趣味で生物を殺すことに関しては、俺の植物採集だってそうだろう。ガーデニングで雑草を抜くのもそうだし。ただ、ガーデニングに関しては人間にとっての環境の...

固形絵の具2 ムラサキオカヤドカリ

 36色! どうもこんにちは、気体マドロイドです。 固形絵の具とヤドカリの話。  旅行記を一時中断して、今日は固形絵の具の話です。ちなみに旅行記はブログのトップページにある三本線みたいなやつから「ラベル」を選択するとまとめて見られますので、是非ご活用ください。ということで、今日は水彩固形絵の具で描いた絵を紹介します。何を描いたか分かりますか?  模写ではないので多少印象で描いていますが……これだけで分かった人はすごいです。正解はムラサキオカヤドカリという、陸にいるヤドカリの一種です。モデルになってくださったのは、知り合いのところの「おかやどかり」さんです。ありがとうございます。  僕は初めてオカヤドカリというものをしっかり見たのですが、これは可愛いものですね。磯にたくさんいる小さいやつ(ホンヤドカリ)より大きいので、ハサミや目も大きく、動作も分かりやすいので愛嬌があります。  目が可愛い。控えめなハイライトの入り方はアニメキャラをも凌駕するのではという絶妙さ、更によくよく見るとまつ毛(?)が生えているのも素敵です。いや、まつ毛と呼んでいいのかは分からないのですが、そうとしか呼びようがないと言いますか……どうして生えてるんだろうと思ってネットで調べたのですが、「ヤドカリのまつ毛は可愛い」という意見しか見つかりませんでした。あと、なぜか沖縄の方言の研究がヒットします。ヤドカリのまつ毛は可愛い。  そういえばこれ、海のヤドカリにも生えてるんですよね。水族館で見た大きいヤドカリでしたが、少女漫画みたいなまつ毛が生えてました。実はホンヤドカリにもあるんでしょうか。小さすぎて見えなさそうなのと、捕まえても観察するのは難しい気もします。一応飼育もできるようですが、フェンストーノ公国は温度変化が激しすぎるので難しいかもしれませんね。  あ、右側に定規が置いてあるのは、ハイライトはホワイトを入れているのではなく白抜きしている、という説明に使った画像だからです。集中していて筆がそこそこ細ければどうにかなるのですが、鉛筆の芯みたいな細さのやつを買うか迷ってます。  なんかずっとヤドカリの話をしていましたが、水彩で塗る過程もあるのでご覧ください。一応解説してみますが、高校で1年美術を取っていたという程度の一般絵描きが言うことなので、あまり信用しないでください。ですので、間違えていても怒らな...