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3月, 2022の投稿を表示しています

コロシテちゃん擬人化計画

 シテ…コロシテ…(マドロイド) どうもこんにちは、デザイナーズマドロイドです。 キャラクターデザインって難しいですね。  前に言っていた、いのちのかがやきくんの擬人化の件です。 ちなみに擬人化なのですが、僕は割りとこれを好んでします。自分の性質から考えて、概念的なモノを落とし込むのが楽しく、なおかつその目標が定まっている(人間に見えるキャラクターにする)ので、デザインにしやすいというのがあるのではと思います。存在の要素を抜き取って造形や性格に反映させることで、そのものが人間のような姿を表す、という現象を面白がっている所もありますが…。  なにはともかく、まずはデザイン案の紹介です。…はい、完成しておりません。 こんな感じです。ラフなので見にくいですね…。個人的にあのキャラクターは女子な気がしたので、基本は可愛いデザインを目指しています。また、日本の大阪で開催される万博なので、その土地での催し物ということを要素の一つとして意識しました。また、特徴である5つの目玉もどこかに配置しています。 まずAですが、これは大阪にあるグリコの看板が元ネタです。なんのこっちゃと思うかも知れませんが、あのランニングシャツとショートパンツをを使った衣装になっています。あとは流体を意識してゆったりと近未来的に、またモコモコしたセルの物体感をそのまま生かして裾の飾りにしました。目玉は髪飾りやベルト、前述の裾の飾りに隠れています。総票数6のツイッターの投票で4票を獲得し、見事1位になったデザインです…。 次にBです。日本に特有の女子の服といえばやはり(狭意の)セーラー服かな、と思った衣装です。そして、大阪名物(?)食い倒れ太郎からインスピレーションを受けた結果、魔法少女風になりました。三角帽子にリボンは魔法少女ですよ…(その三角帽の先っぽには目玉がついています)。ストライプも意外と新鮮な印象です。ちなみに作者の一番の萌えポイントは、ニーハイソックスの裾というか上部がロゴマークのセルのシルエットを模した処理になっていることです。こちらはツイッター投票で2票を獲得し、2位になったデザインです…。 最後にCです。やっぱり着物ですよね。和洋折衷の、ふわふわひらひらした衣装です。スカートの下地のレースがこれまたロゴマークのシルエットというか、結構ダイレクトにセルそのままです。コンニチハしてます。和洋

ヨーロッパの農業

 削ってけ?(氷河) どうもこんにちは、地理選択マドロイドです。 ヨーロッパの農業の話。  広いヨーロッパでは、地域ごとに様々な形態の農業が行われています。情報量が多いですが、その決定要素から考えていくことで単なる暗記ではなく、考えて理解し、記憶に定着させることができると思います。そこにオヒレハヒレを付けて芋づる式に記憶し、それを横でも繋げることができれば、さらに理解が深まります。それでは語りが始まります…。  まずは、降水量と気温です。殆どの地域は、北から南に向かって寒くなる、という理解で大丈夫です。(あとは大陸内部に行くほど寒くなります。)  この例外の代表はイギリスで、中学地理でも勉強するので有名だとは思いますが、緯度が高い割に、横を暖流(北大西洋海流)が流れており、その上を偏西風が吹いているために温暖で、一年中降水があります。そのためガーデニングが盛んですが、同緯度に比べて温暖なだけなので、北部などは小麦ができないために混合農業ができず、酪農がメインになっています。紅茶にクリーム入れないといけませんしね(逆)。 寒い所(英、北独、典、から北あたり)は氷河期に土が氷河によって削られたために痩せた土地の国が多く、そのような理由でイギリス以外の国でも酪農が盛んになっています。また、低湿地のオランダ(ホルスタインの原産)や山地が多いスイス(アルプスのチーズ)なども、酪農が盛んです。 ドイツも寒くて北部では混合農業ができない国ですが、この国は酪農があまり盛んではありません。寒さに強い作物である大麦やジャガイモ、家畜は豚を育てています。酪農(牛)は、商品にするのに時間がかかるので豚が好まれたようです(ソーセージが有名ですね)。ジャガイモは多くが豚のエサになるようです。大麦なのですが、やはりビールに加工されてきた(ホップも寒さに強い)ので、ビールが有名で国民も好んで飲んでいます(オクトーバーフェストとか)。  暖かい所ではどうかというと、基本的に混合農業をやっています。生産性が高いので、本当は皆これをやりたいのです。前述のような理由でできない所もありますが…。分布は西岸海洋性気候に多く、ここの土は褐色森林土で穀物の連作はできない(小麦は米より多くの養分が必要)ので、家畜の排泄物を肥料にする混合農業が編み出されました。中でもフランスはヨーロッパ屈指の農業国として、小麦の栽培

エビフライ

 えんびふらい。 どうもこんにちは、冷凍マドロイドです。 エビフライの話。ものすごくどうでもいい日記。  今日の夕飯にエビフライがでてきました。総括関係者曰く、エビが安かったとかいうことですが、彼女の口からエビが安かったというワードを聞いたのは、今まで十何年ほど生きてきて初めてな気がします。そもそも第一コミュニティの食卓にエビフライが出てきたのが初めてです。エビフライってあんなに美味しいものなんですね…。語彙力が中学の国語の教科書を引用するだけのレベルに後退する程度に美味しかったです。 外食する文化が殆どないので、管理人が外で食事を摂るのは義務教育の給食くらいしか機会が無かったように思います。しかし、その給食に出てくるエビというと、餡掛けの小さいやつかチリソースみたいなものが殆どであり、ある程度の大きさのエビを見ることはありませんでした。よって、エビフライを食べた記憶があるのは親戚の集まりの食事会か修学旅行の食事くらいです(修学旅行の食事は、エビフライとハンバーグとソーセージ、みたいな有り得ないメンバーがしれっと1人分に並んでいるのをしばしば見掛けますよね…。あれ脳が混乱しますよね)。 そのエビフライが本日、食卓に登場したわけなのです。とても大きいものではなかったですが、丸く、身が詰まっており、節足動物ならではの肉の存在のしかた故の何とも形容しがたい独特の歯触りと、ダイレクトアミノ酸!といった感じの旨味と甘味があり、なるほど人間の中枢に訴えかけてくるなぁと思いました。…食レポ語彙がないことが非常に残念です。 ちなみに、僕が科学部内で所属している班は「エビフライ班」ですが、ここで研究していたエビは「ミナミヌマエビ」という、大きくなっても体長3センチ余りの小さな川エビです。名前はノリと勢いで決まりました。もっとも、様々な溶液の希釈液に浸かっていたエビなので、美味しいかというより食べられるかどうかが怪しいですが…。 なにはともかく、そんなエビフライを作ってくれた総括関係者と、エビを買う費用の元となる経済を産み出してくれた総合関係者には感謝しかありません。後者は最近、敷地内別居みたいなことになっているので久しく顔を合わせていませんが…。この前、鶏小屋付近で会った時には「久し振り」と言われました。彼らは特に、コミュニティの中でも(共通関係者と比べて)一個人という意識が強いと思

窓辺の多肉植物園

 開園してます。 どうもこんにちは、園長のマドロイドです。 セダムの「銘月」に花が咲いた話。  我が多肉植物園の中でも、そのサイズ感で一際存在感を放つ「銘月」。その銘月に花が咲いていました。 シャープな形状の真っ白な花弁に、長く伸びた雄しべと雌しべが華やかな印象の美しい花です。 ちなみにこの銘月は、弟が小学校の卒業記念に先生に頂いたものを兄にそのまま渡し、それを育てているものです。僕は当時(中学生)から多肉を多く育てており、まぁこいつに任せるのがいいか、くらいのノリで押し付けられたものだと思われます。というのも彼は僕と一緒に買ってもらったサボテンを枯らした過去があるため、それで任せに来たのだと考えられます。 それが大きくなり、花が咲くまでになりました。弟に託した先生も、ここまで(兄が)育てているとは予想していらっしゃらないでしょう。小学生に植物を育てさせるのは、学校で一斉に指導しない限りかなりのギャンブルになることが多いように思います。その上で植物を記念にしたのは、彼らの成長を期待してのことなのかもしれませんが、……。まぁ枯れるよりはマシでしょう。 〔今日の英訳〕 Because he has withered a cactus before, he left it to me. (というのも彼は僕と一緒に買ってもらったサボテンを枯らした過去があるため、それで任せに来たのだと考えられます。) それではまた。

ザイクロトラン

 イア!イア! どうもこんにちは、ザイクロトルからのマドロイドです。 僕が絶賛癲狂している対象のクトゥルフ神話生物、ザイクロトランについての話。ザイクロトランと「妖虫」についてのネタバレ注意。  CoCプレイヤーの皆さん、クトゥルフ神話ファンの皆さん、皆さんの好きな神話生物、神格は何ですか? 僕は断然ザイクロトラン(ザイクロトルからの怪物)です。 ルールブックを買って初めて読んだ時に見て以来、信者をやっていると言っても過言ではないです。とは言っても彼らは下等の独立種族であり、神格でも何でもないので信仰してもどうしようもない、むしろ近付けばエサにされる可能性すらありますが…。 それにザイクロトランは、ニャルラトテップのように作者に都合よく動く訳でもなく、ミ=ゴのように積極的に侵略に来る訳でもないので、シナリオに出しにくいのか殆ど見掛けることがありません。…探索者がこんなカルティスト擬きではKPも困るでしょうが…。それにしても、好きな神話生物に未だ会えていないのは悲しいことです。 そこで僕は、ルルブに掲載されていた説明の出典である小説「妖虫」を読むことにしました。しかし、ここにまた悲しい現実が存在していたのです…。  「妖虫」はざっくり言うと、シャッガイからの昆虫の放浪の歴史やその信仰の様子がメインの内容になっている小説です。ザイクロトランはシャッガイからの昆虫の奴隷にされているので、話の途中でその経緯や働きについて述べてあります。 その中にザイクロトランについての描写があるのですが、これが問題なのです。何が問題かというと、同一箇所を訳したであろうルルブと訳が違うのです…。 『「もう少しでぶつかるところだった、と私は思った。 金属的な灰色の木 だった …… 高さは約16フィート あって、 太い筒のような枝がついていた …… 筒は根元のところで 6本の平たい根のようになって分かれている 。 これはただの自然の形なのかもしれない。 木のてっぺんについている枝の奇妙なまん丸い並び方も 、はやり自然の形が偶然そうなったのだと説明されているのかもしれない。しかし、私のすぐそばの枝が、 突然つかみかからんばかり の勢いで私の方へ伸びてきたことは、とても自然のこと だとは言えないだろう。 しかも、木の梢だと思っていたてっぺんから、 目鼻のついていない楕円形のもの がいきなり顔を出した

コロシテくん

 …シテ…コロシテ…。 どうもこんにちは、いのちのマドロイドです。 大阪万博のキャラクターが可愛すぎる話。  大阪万博のマスコットキャラクターが決まったようです。ロゴマークをそのまま組み込んだデザインの彼ですが、まず見た目が大変可愛らしいですよね。賛否両論ありますが、大変秀逸なデザインだと思います。  ところでロゴマークの方ですが、こちらも発表された当初は様々な意見を(主にネットで)見掛けました。「目玉模様が気持ち悪い」「子供が怖がりそうだ」などの否定的な意見から、「個性的で可愛い」「ユニークで頭から離れない」といった肯定的な意見まで、そのインパクト故に色々な捉え方をされたロゴマークだったと思います。 そうはいっても、ここまで反響が出たのは何故なのでしょうか。これは一般ツイッタランドの住民の感覚ですが、同じく国際的なイベントである東京オリンピックのロゴマークが発表された時よりも、あらゆる反響が遥かに大きかったように思います。 その原因の一つは、やはりデザインの特殊さだと思います。シンプルで鮮やかな配色と生物的な動きのあるデザインは、前例のなさも相まって、見た人間の脳が情報を処理する前に思考停止するレベルのエネルギーを秘めています。僕も初めて見た時には「何だこれは?」と思いました。 しかし、この"疑問に思う"というプロセスを見た瞬間に誰もが踏むことで、その分析を否定/肯定の意見として自分の中で纏めることに繋がり、活発なその発信を促したのだと思います。この「考えるきっかけ」を多くの人が受け取り、それに応じて自分の考えを持つという過程を日本中に起こしたことは、すでに彼の功績の一つであると言っても良いでしょう。SDGs万博、などと一部で言われている大阪万博ですが、その前哨戦として体を張って、まず自分の意見を持つ大切さに改めて気づく機会をくれた、そんな素敵なロゴマークだと思います。  さて、マスコットキャラクターの彼ですが(名前が決まっていないようなので、「彼」と読んでいます。ロゴマークも「彼」でしたが、気にしないでください。あれをただの記号として捉えるには、あまりにも愛着を持ちすぎてしまった…)水の都をイメージしたという流動的な体が、何とも言えず魅力的です。ロゴマークとの変身のバリエーションもたくさんあるようで、仲が良さそうなのも微笑ましいです。楽しそ

ジェンダーと人類

 虹色は何色? どうもこんにちは、思考型タンパク質なマドロイドです。 ジェンダー問題についての話。  概念自体は昔から存在するジェンダー問題。問題の種類にも色々あり、性別役割分業、心と体の性別や恋愛対象の不一致から、そもそもジェンダーという概念について、などなど…。これらが大きく取り上げられるようになったこのごろは、幼少からの刷り込みに大人が躍起になっているようです。 義務教育中盤あたりからジェンダー問題の教育が行われだした世代ですが、学生がどれだけ現象を理解しようとも周りの大人の知識は変わらず、(これも昨日と同じ結論に早くも達しようとしていますが)世代交代が起こらない限りは改善されないだろうと思います。また僕らはネット世代でもあるので、自分たちで情報収集していることも多いです。ネットの知識は不完全かつ玉石混交なので学校で正しい教育が行われることは必要だと思いますが、問題の根本的な解決に繋げるには全体の意識を変えることこそが必要だと考えます。  まず僕の世界の話をしておこうと思います。そもそも性別というものは生物の染色体が若干違うために物理的な形質が違ってくるものであり、その結果として精神的な所や大まかな見た目が違ったとしても、全人類は同じヒトという動物です。しかしこの「発達の程度や種類が作る見た目の違い」がまぁまぁな曲者なのです。概念的な話が発達していなかった時代に、その見た目による分類と「社会的な存在を説明した言葉」としての分類が一括りの「性別」という概念に纏められてしまったために、様々な問題が発生していると言っても過言ではないでしょう。 そこでこの世界では、生物として色々あるので分ける必要がある「生物学的な性別」と、利便上分ける必要がある「自分が思う自分の性別」を別のものとして設定しています。研究や医学のために人間を分類する必要がある時には前者を、自分を表現する場では後者を、それぞれ記入します。また、生物学的な性別の識別記号として「男女」ではなく「XY」を使います。使い分けはそのままです。ちなみにこのアイデアの本家はなんj民の何方かです。スレを探したのですが、見つかりませんでした…。 この世界なら概念が別々なので、一致しないことがありません。「自分が思う自分の性別」はみんなが好き勝手に決められるので、役割分業もできません。多分、そもそもそんな括りがありません。

大か小か…後編

 社会主義経済。 どうもこんにちは、自由競争マドロイドです。 前回の続き。   今日は小さな政府です。  小さな政府の特徴である自由な経済的競争、これを実現するのは規制緩和などによって可能となる、事業の増加や拡大です。それにより競争が起こり、経済活動が活発になることで国が豊かになる…はずです。はたして。  税金が安くなるのも小さな政府の特徴ですが、税金が上がっているのを見て分かる通りのものです。これはしかし、税金すら無くなると福祉関係のサービスがことごとく消滅しそうなので今すぐに変えることはできなさそうです。小さな政府では基本的に、自分で働いて自分で生活していく……ナニガシドリームも掴めるけれど生活に困る可能性もある……という生存クエストになっています。 税金が安くなると経済が活発になるのかも、よく分かりません。我々は生まれてこのかた好景気というものを経験したことがないので、税金が安くなっても「嬉しい!何か買おう!」という思考になる前に「金利が上がるなら貯金しよう」という守りの姿勢に入ると思われます。世代交代でもしない限りは経済に影響は出ないでしょう。そもそも政策を出している側と経済を動かす側の世代が違うことが、根本的に問題なのではとも思いますが…。  このように、消極的な世代の日本人には小さい政府のメリットをあまり生かせないのでは、と考えます。  大きい政府と小さい政府について考えてみましたが、どうも日本に経済を回すのは無理なのでは、という謎結論しか出ません。その対応のための現在の政策なのかもしれませんが、このままでは破綻する未来が見えるので、もう集団農場とか経営した方が日本人は日本人として生きられるのでは、とか思います。 散々考察した割には結論が自棄糞ですが、プロレタリアアレルギーというか知らない故の恐怖症の日本人は近年ようやく減り出したようなので、やるなら今しかないのでは、…などとも考えます。 〔今日の英訳〕 I cannot mention about Japanese economy becomes active if tax be cheaper. (税金が安くなると経済が活発になるのかも、よく分かりません。) それではまた。

大か小か…前編

 資本主義経済。 どうもこんにちは、再分配マドロイドです。 政府の話。  国によって違う、政府の大きさ。大きいのが好きな人も小さいのが好きな人もいるでしょうが、国全体では大まかにどちらの方針かが決まっているようです。日本は一応小さな政府を目指したりしてみているようですが、まだパッと見は大きな政府です。それを構成してる財源がガバガバなので、張り子というか中身のないマトリョーシカというか…といった所ではありますが。 ちなみに政府の大小とは単純に規模の大小(公務員の人数や役所の数など)であるほかに、行政サービスの内容や量でも決まってきます。簡単に言うと、大きな政府は税金を多くして福祉などとしての再分配を増やすことで格差を減らし、小さな政府は税金を少なくしてサービスを減らすことで財政成長を促すのが主な方針です。 どちらがいいのか、という問いへの答えは国や時代によって違うとは思いますが、今日と明日の日記で、現在の日本の様子から僕なりに両方の視点で考察しようと思います。 今日は大きな政府についてです。  まず、大きな政府の特徴である、国の経済への介入についてです。早速ですが、この面は郵政民営化を始めとする某氏の方針などにより、現在は政府の介入が抑えられているので既に何とも言えません。例えばJRも国鉄から民営化された企業ですが、乗客数の低迷により各地で路線の廃止や本数の減少を行っており、運営に苦労しているようです。 ちなみに、このような公共交通機関が無くなると困るので、世の中には「上下分離方式」という、インフラ(駅や線路)の整備と列車の運行を自治体と企業でそれぞれ分担する方法もあるようです。こうなると大きな政府に近づくかもしれません。しかし、民営化が浸透した分野に今更政府が介入するのは難しいと思われるので、経済の介入、重要な産業の把握という面では日本に大きな政府は向いていないのかもしれません。  また、高い税金と多くの行政サービスについてです。現在の日本は、それほど税金は高くないのに福祉の手当ては充実したほうであるという、バランスが悪い感じの立場にあります。この釣り合いは国債とかいう自己借金でまかなっています。 これからの日本は、少子高齢化などの対応のために、福祉費や教育費を増やすことはあっても減らすことはないだろうと考えます。生活保護や失業保険などのセーフティーネットが

逆走LIMBO…2

 トロフィー欲しい。 どうもこんにちは、逆走マドロイドです。 前回の続き。ネタバレ注意。  前回の考察では、題名と大まかなストーリーについての意見を述べました。今回からは、より詳細に、ゲームの進行に沿って考えていきたいと思います。  まず、ゲーム序盤の森という場所について考察します。 ゲームは倒れている主人公が起き上がる所から始まります。場所は森の中です。中盤からステージは工場や町中のような所に変わり、森や林のようなステージもあるにはあるのですが、メインギミックではなくなっていきます。ただ、最終局面は荒廃した雰囲気や自然の要素があり、エンディングは再び森の中がステージになっています。 これは、森=土が作ったもの、というイメージから、主人公が辺獄の世界で実態的に甦ったこと(最初に森から出る、土から出る)と、主人公が辺獄の世界に於いても死んだこと(最後に森に辿り着く、土に還る)ことを表しているのではと考えます。 なぜそんなことを意識していたのかというと、土を踏む音が聞こえるからです。このゲームのサウンドは環境音以外は主人公の足音くらいしかなく、そのためか床の材質によって足音がかなり違います。森の中を歩いていれば土や枯れ葉を踏む柔らかい音がし、工場の中を歩いていれば金属やコンクリートが固く響く音がします。これ以外の特徴的な動的ゲームサウンドは主人公が死ぬ(砕かれる、焼ける、切れる、潰れる、…)音しかないので開発側が凝っただけかもしれませんが、場所を意識させるために足音を細かく作ったのかもしれないな、と思ったことからの考察でした。  また、ステージが森の中から工場のような所に移行する過程のギミックについて考察します。 森の中では、謎のクモのような生き物に対応したり転がってくる岩を避けたりと、デザイン的にも仕組み的にも自然がモチーフの罠が殆どです(トラバサミ先輩なども居ますが…)。ここから中盤に向かうにつれ、まずは主人公によく似た他の子供(主人公と同じくらいか少し大きいことが多い)が出て来だします。 最初は虫に寄生されて死んでいたり木に刺さって死んでいたりと、とにかく死んでいる子供が出て来ます。しかしある時から、動ける子供たちが主人公を邪魔しよう、殺そうと罠を仕掛けてきます。例えば、森の中によく出てきたクモの足の模型を動かしていたり(当たっても死なない、気付いて通り抜けること

人間と幸せ

 幸せですか? どうもこんにちは、青いマドロイドです。 幸せとは何なのか?  私たち人間は、幸福物質であるドーパミン、セロトニン、オキシトシンが十分に分泌されている感覚を「幸福だ」と表現しているようです。極論を言ってしまえばこのホルモンが分泌されることが人間の幸せを引き起こします。しかし、今日は幸せだと感じることにしている現象の話ではなく、「幸せ」という概念を生成した人類の発想と、それが一体何なのかについて考えてみようと思います。  「幸せ」とは何なのか。 何を幸せとするかは人それぞれです。ある人は最大多数が最大幸福を生み出す現象を、またある人は自分が愚行をしてでも快楽を得ることを、それぞれ幸福だと考えます。しかしこれらに共通しているのは、結局「幸せだ」と感じる(判断を下す)のは自分自身だと言うことです。その人の実際の状態がどうであれ、「幸せ」を観測した人はその情報を受け取って「幸せ」として処理できたことになるので、その人は「幸せな人」です。 前者の定義を持つ人が、たとえ自分が不幸せでも最大多数が最大幸福を産み出している様子を「幸せ」と評したなら、その人は「幸せ」を認識できていたことになり、僕の定義する「幸せな人」に入ります。周りはあくまで要素でしかなく、「幸せ」であると判断した自分そのものこそが「幸せ」なのです。  幸せになる必要はあるのか?何のために幸せを感じるのか? 人は幸せになるために生きているのでしょうか。人は、義務的に、本能的に、生きています。「幸せ」はそれらを覆い、自分を納得させるために無意識に発生させられているのではと思います。人間は哺乳類の動物ですが、同時に自分たちが作った「人間」という概念的な存在です。 より意識のはっきりした、後者の潜在的な人間にとって、前者の動物的な人間の「生きるための衝動」は単純すぎる故に野蛮に見えるのかもしれません。その辻褄を合わせるための「幸せ」という感覚なのではないでしょうか。この行動は幸せのためであり、本能に従っているではないという抵抗が感情として現れたものが幸福感ではないかと思います。この理論なら子供の感情の発達も、このデフォルトの設定があることで基礎ができ、それを逆に利用したのが「誇らしい」「優越」という意識であるとすれば、全ての感情が「幸せ」かどうかという基準からの発展なのではと考えることができます。  …簡潔

地球温暖化

 懐疑派。 どうもこんにちは、二酸化炭素排出マドロイドです。 地球温暖化についての話です。  近年しきりと叫ばれる地球温暖化問題ですが、僕はこの問題の存在に懐疑的な立場をとっています。  まず、地球温暖化は本当に現象として起こっていることなのでしょうか。 これについては、環境省が「温暖化とは、人間の活動が活発になるにつれて「温室効果ガス」が大気中に大量に放出され、地球全体の平均気温が急激に上がり始めている現象のことをいいます。」と定義しているようです(環境省ウェブページより引用)。これが温暖化の定義だと主張されているのなら、確かに地球は温暖化していることになるでしょう。 しかし、この定義は本当に「地球温暖化」の定義として適切なのでしょうか。 温暖化は、二酸化炭素やメタンなどの「温室効果ガス」と呼ばれる気体が地球の発する赤外線を吸収し、再び放出することで地球が発散する熱の量が減ることにより起こっていると考えられています。悪い効果のように言われることの多いメカニズムですが、視点を変えると地球が冬に凍りついたりしないのもこの仕組みのお陰、温室効果ガスのお陰なのです。また、人間の活動で増えていると言われる温室効果ガスによる温暖化(人為起源)の他にも、自然変動(地球の気候がもともと持つ、それが変動する性質)による温暖化があります。例えば、縄文時代は現在よりも2℃ほど気温が高かったらしいことが海岸線の様子などから分かっていますが、これは日本の近くを流れる暖流の流路の違いによるものだったようです。この時期は世界的にも気温が高かった時期で、これは地球軌道が変化したことによる日射量の増加が地球温暖化を引き起こしていたことを意味します。 このように、この定義は「地球温暖化」の現在取り上げられているような問題にだけ対応するものであり、温暖化を広い視野で捉え、現象として正しく理解するには不適切なのではないかと考えます。よって、温暖化は起こっているがそれが正しく定義されていないために人々が曲解された地球温暖化についてのみ考えているという状態であるため、現在の地球の様子を「温暖化」と呼ぶためにも正確で客観的な定義の提示が必要だと考えます。それがなければ、この現状を「地球温暖化が起こっている」とは言えないと思います。  次に、地球温暖化は本当に解決しなければいけない問題なのでしょうか。 前述した

画一化と多様性

 ダイバーシティのユニフォーム。 どうもこんにちは、量産型マドロイドです。 人間の画一化と多様性について。  生物学的には、人間は全て「ヒト」という種類の動物であり、しかし塩基単位で多様性を持っています。 社会的には、人間は全て人間という存在であり、しかし個々で多様性を持っています。 このように人間は、完璧に画一的であるとは言えません。しかし社会的には、人間にはある程度の画一性は絶対的に必要なのではないかと考えます。  人間がこの限られた地球とかいう狭いスペースでこれから先も暮らしいてくためには、画一化による調和が必要です。これは、生物学的にではなく、社会的、精神的な観点からです。 地球上では、古今東西至る所で人間が争いをしています。その原因の多くは、宗教から人種、歴史など、自分たちと違う種類の人間が居ると互いに思っているから発生する問題です。同じ種であるはずの人間が相手を「自分と違う」と思い込み、その人間が同じ社会を形成する地球だからこそのものです。文化が画一化されれば、これらの問題は無くなるので内戦の類いは無くなるはずです。本格的に言及するのはまだ控えますが、ウクライナ情勢も「ウクライナ人」と「ロシア人」が居るので起こっているわけで、これも「地球人」がやっていると思うと…(以下略)。(この辺りに関してはこの問題が収まって熱が引いてからから考えを述べようと考えているのですが、思ったより長引いているのでまだ待っています。)全人類は「地球人」と互いに認識することで、人類は調和しきった社会を形成することができ、これは未来の理想的な社会の姿だと言えるでしょう。 広い宇宙の片隅の銀河、その太陽系の一つの星である「地球」に生きる人類がこれからも生き延びていくためには、まず同種での争いを無くすことが必要です。そのためには人類は画一的になるべきであり、もしくは画一だと見なされるべきなのです。  ここまで画一画一と言っていると叩かれそうなので、僕なりの多様性の容認についての考えも述べておきます。 また生物的な話をするのですが、生物としての個々の人間は前述したように、全てに於いて全人類が画一的な存在になる、クローンになるようなことはできません。要するに、「多様であること」は人間にとって大前提なのです。(この考えがあるからこそ僕はさっきから画一画一と言っているわけであり、もし前の段落を

三日月教

 三日月を拝むだけの簡単な宗教です。 どうもこんにちは、開祖マドロイドです。 自作の宗教の話。  世界にはたくさんの宗教が存在します。救いを求めて、産まれた時から、など、入信した理由は人それぞれだと思いますが、まぁ何か人々の心の拠り所となったりするようです。 三日月教も宗教ですが、中身が春の大根のようにカスカスな上にビジュアルは花が咲く大根以下なので、拠り所というよりは無いよりマシな駅のパイプベンチのような存在です。本日は、そんな三日月教について説明したいと思います。  概要は至って簡単です。三日月を拝みます。終わりです。月が見えなくても三日月でなくても、取り敢えず自分の中で「三日月を拝んでいる」と思えれば勝ちです。以上です。 …では面白くないので、今日は三日月教の裏理念について書いていこうと思います。  まず、結局の所は何が言いたいかというと、僕が「地球規模の精神」と呼んでいるものを獲得することこそ三日月教を信仰する裏の目的である、ということです。 「地球規模の精神」とは何かというと、僕が考える、地球で人類がこの先生きていくために必要な考え方です。具体的に説明すると、例えば人種差別はそもそも人種とかいうものが地球規模(宇宙規模)で見ると誤差みたいなものなので、労力の無駄だから止めた方がいい、という感じです。三日月教でいうと、月が見えていなくても月を拝めるのは、月は地球の周りを回っていて絶対にどこかにあるので、拝んでいると思えば拝めるからです。また三日月でない月を拝んでもいいのは、その月もそのうち三日月になるのでどんな月も三日月になる可能性を持っており、実質三日月みたいなものだからです。 こうして三日月を拝みながらこの思考を鍛えることで、地球規模の精神を得ることができます。なおこの理論でいくと、今すぐにでも自分が「地球規模の精神」を獲得した、と思えば獲得できたことになります。ガバガバです。このような、柔軟かつ広大な思想が「地球規模の精神」です。せかいへいわ。 ただし、普通は三日月を好きなときに拝むだけの宗教なので、このような理念はあってないようなものです。そもそもこれを読まないと信者でも分かりません。拝むうちにここまで辿り着いたら、それはそれですごい事なんじゃないかとは思います。  次に、裏理念というよりは自分が考えていて楽しいだけのオマケ要素について説明します。そ

島国と魚

 さかなさかなさかなー どうもこんにちは、コイ目コイ科の観賞用マドロイドです。 イギリスの魚事情の話。  魚は美味しいですね。我々日本人は魚を世界的にも多く消費することで有名であり、ここ最近は消費量が減っているとはいえ、独特の食文化も持つ世界有数のおさかな天国です。ちなみに、消費量ランキングの上位にはモルディブやアイスランドなどの島国がランクインしています。  ところで、なんやかんや共通点も多いユーラシア大陸西岸の島国イギリスですが、実はそんなに消費量は多くありません。そこまで魚を食べる文化が無いかと言われるとそんなこともないようですが、熱狂して好き好んで食べるほどの物でもないようです。肉食が中心かと言われると、あの国は地理的に酪農が盛ん(小麦ができない)なので執着はあったりするのかな、とは思います。どう調べたらいいのか分からないのと、データ的な特色がそこまで無いためか調べても出てくる資料が少ないので情報が曖昧ですが、また件のイギリス人に聞いてみようと思います。 イギリスの料理は不味いので有名ですが、フィッシュ・アンド・チップスはイギリスを代表する魚の料理として有名です。スターゲイジーパイ(パイに魚が刺さっている、ものすごいビジュアルのパイ。どうしてそうなった)などのインパクトの強い料理もありますが、あそこまで衝撃的な見た目をしているわけでもなく、美味しそうに見えます。件のイギリス人某氏によると、普通に美味しいそうです。日本には売っていないのでどうしているのか聞いてみたところ、自分で作ることもできる、とのこと。色々なレシピを試した結果、テレビで見たものが一番おいしかったそうです。豆を煮たものを添えるのが一般的な食べ方のようで、本国ではその缶詰めも売られているとかいうことでした。なお、その主な材料となっている魚がアイスランド周辺で採れるようですが、その漁獲量が減っているために若干の危機感を憶えている模様です。 また、周囲が海に囲まれているので他の魚も食べるようです。タイ(sea bream)やサバ(mackerel)、マグロ(tune)あたりをよく食べるそうで、サバに大根を使ったソースをかけた料理(検索に引っ掛かりませんでした。謎)は美味しくないとかいうことでした。なお、「ツナ」はマグロを表す英単語(実際の発音は「チュナ」に近い)ですが、日本ではマグロの水煮缶詰めの名

MOTHERプレイ録

 SMAAAASH! どうもこんにちは、マザーズデイをウロつくマドロイドです。 任天堂のゲーム「MOTHER」のプレイ録。ネタバレなど注意。  前々から遊んでみたかった「MOTHER」が遂に、Switchのニンテンドーオンラインに追加されたということでプレイしました。昔スマブラで見つけた「どせいさん」というキャラクターが好きで、どせいさんの村があるのは2のほうですが、せっかくなので無印から遊んでみようと思いました。 二回ほどのプレイでまだまだ進んでいませんが、操作しながら書いた感想(というか叫び)に加筆しつつ、画像も交えて書いていけたらと思います。お察しの通りの茶番日誌です。叫びは丁寧な言葉遣いではありませんので、ご注意ください。 ※画像はイラストを除き、「MOTHER」のゲーム画面のスクリーンショットです。  それでは始めていきたいと思います(後付けのコメントは<<で付けていきます)。 まずは主人公を始めとするキャラクターなどの名前を決めることができます。 主人公:マドラー <<僕の代理キャラの名前です 女の子:ラバイ <<弟の創作キャラの名前です 友達:えれ <<母親の代理キャラの名前です 友達:ルキ <<思いつきです 好きなこんだて:アイホート <<直感です   違うんだよ!!!電気スタンドが襲いかかってくるなよ!!!! <<始めてすぐ襲いかかってきました 妹は置いて逃げるスタイル 不法侵入くん <<よく分からない人が結構家に居るんですよね… パパ助けろよ!!鍵はしっかりしまっとけよ!!思い出せ!!鍵の在処を!!!! 2回目かけたら頑張れよは酷い <<地下室の鍵の在処が分からないとかいうことで、父親に電話を掛けた時の反応です。放任主義。ちなみにこのゲームでは、父親に電話をかけることでセーブをできます 妹何人居るんだ? <<二人居ました 人形ホラーだな <<妹の部屋で動いてました… ミニーイズ誰!!?? <<妹の名前でした 『たたかいのきろくはつけといたよ』 <<セーブで父親に電話を掛けたときのセリフです。子供を戦わせている自覚はあるのか… 『ねずみはきたないことばをなげつけた』

イラストと現代

 二次元はいいぞ。 どうもこんにちは、概念的改変四次元の住人なマドロイドです。 最近のイラスト界隈についての話です。  絵描きを名乗る程ではないですが、僕も創作やファンアートの手段としてイラストを描く人間の一人です。そんな絵描き界隈の端の端に生息する何かが見ても、最近という時代は特殊な時代だと思います。そもそも2、30年前は絵描きという趣味が今ほどメジャーでなく、それも狭いコミュニティや隠れた場所での活動に留まっていたのではと思います。ネットという世界の普及でこれだけイラストが市民権を得ているこの時代は、絵描き(広義)にとっては特異だと言えるかもしれないと思いました。  普及により起こっているのは、良いことだけではありません。  例えば、トレパク(:トレースによるパクり。線をなぞったり色を抽出したりして、元のイラストや写真を殆ど全て利用したイラストを描くこと。)は最近では某氏の事件が有名ですが、各界隈で似たような騒ぎが毎日のように発生しています。これも、デジタル上でイラストを描き、インターネットに投稿できる現在だからこその問題です。しかし、このトレパクも明確な基準が何かによって決まっているかというとそうではなく、気づかれなければそのまま放置です。 他にも無断転載や無断使用、自作発言もSNSではよく問題になっています。これについては、そんなことをワザワザする人間の心理が理解できないのでよく分かりませんが、これも情報の複製や掲載が容易なインターネットの存在ならではのものです。大方、いいねや反応が欲しいからなのではと思いますが…。そうだとすると、絵描きの界隈が過剰反応するのもその発生の一因になってしまっているのでは、とも思います。 これらは最近になって多発している問題であり、その対応や発生の要請を含めて、これから考えていく必要があるものだと感じます。  また、どうも「絵を描くこと」「絵であること」事態の意味が狭まってきているように思います。 イラストというものは時代によって流行り廃りの流行がありますが、今日の「よりリアルに近く、現実的でないと上手なイラストとは言えない」という風潮に、僕はあまり賛成できません。例えば、往年の少女漫画に「目が大きすぎる」、ボールが友達の主人公の某漫画に「足が長すぎる」、国民的長寿作品に「首が細すぎる」など、イラストの世界にとっては的外れな指摘

教育と日本

 キーンコーンカーンコーン。 どうもこんにちは、not義務教育課程マドロイドです。 現役で高校生をしていて、日本の教育、主に財政面について思うことの話です。  勤勉な国民性で知られる日本は、政府だなんだという存在が無い時代からせっせと勉強をしていたようです。また、江戸時代の識字率が世界一だったなど、意識的に教育ということをする文化があったようです。ですが、その「教育」が国の管理下に置かれていると言える現代でその国民性がシステム的に役に立っているかというとそうでもなく…。  たとえば国の教育周辺の費用(文教及び科学振興費)です。小中の義務教育はもちろん、高校なども公立の学校は公的に支給された費用が無ければ立ち行きません。僕の高校も灯油ストーブの灯油代は地方自治体が出しているので、授業料を払ったとしても、教育費が無いと寒い教室で凍えることになります(ストーブが古い上に教室は透き間風が吹くので全然暖まりませんが、無いよりはマシです)。 また、大学や大学校なども国立は国の運営ですし、その上の大学院や研究機関も国の金がなければやっていけない所が殆どでしょう。それでも研究者は資金集めに困り貧乏している状況のようですが…。どうしてこうなった。 やはり一番の原因は、日本の「文教及び科学振興費」の割合の小ささ、予算の少なさでしょう。2021年度の歳出割合を見ると、社会保証33.6%、国債費22.3%、地方交付税交付金等15.0%、公共事業5.7%、と続いてやっと文教及び科学振興費5.1%、が現れます。  ここで、財務省のホームページに載っている諸先進国の国家予算の割合を眺めてみます。国の方針にもよりますが、国債費と社会保障がある程度の割合を占めているのはどこも似たような雰囲気です。みんな大変なんですね。 しかし、日本ほど教育、科学関係の割合が低い国はそんなにありません。科学研究費というか技術開発にはまだ予算を割いている部類なのですが、GDPに対する教育費の割合では世界ランキング115位とかいうことです。先進国が加盟している機関であるOECD内でのランキングは2018年時点で34カ国中最下位など、先に説明した国民性に見合っているとは言い難い放置プレイ仕様になっています。それ故なのか、しかしこれでいいのか…。  よくないと思います。教育というものは金がかかるものです。公立の高校に通ってい

勉強

 僕たちは勉強が嫌いだ!!!!!! どうもこんにちは、学生マドロイドです。 勉強とは何か、という話です。  我々はどうして勉強しないといけないのでしょうか。勉強するための学科に来ておいて言うのもナンセンスではありますが、たまにそう思います。勉強が物凄く嫌いな訳ではないですが、時には嫌になります。でも、できると嬉しいので好きになります。手のひらクルクル。我々の感情や能力に作用する、この謎の概念の正体を探るべく我々はアマゾンの奥地に向かった…。 向かいません。Googleで調べました。 学生にとってそもそも勉強とはどんな行動を指すのか、ざっと見た雰囲気では「努力して物事に励む」というものが大まかな意味の枠のようです。学問や技術を学ぶ、という意味もありますが、本来はその形式概念可視的な行動よりは、根本の精神論の象徴のような言葉なのではと思いました。また、物事や技術を新しく学んだり更新したりする「学問」、それらを習得するために繰り返す「練習」「復習」など、僕たちは普段、多くの言葉の意味を「勉強」とひとくくりにして考えているのだろうと感じました。 すると、学生の言う「勉強」は本来の意味を拡大して自分たちのしていることと、その大本の考えを結びつけようとした結果の解釈で使われている言葉のようにも思えます。すると、どこまでが勉強でどこまでが勉強でないという判断はつきにくいですが、色々勉強していきたいです。  …個体的な話になるのですが、本日は学校行事のクラスマッチでその手伝いや競技に1日中奔走していたので、久々に身体的に疲弊しています。その後に部活でポスター発表の原稿を作っていたりもしたので、脳ミソも使っています。 何がしたいかというと、「勉強という概念と学生」という面白いトピックでもっと考察したいのは山々なのですが、眠すぎて思考と文章が投げやりになっているので今日はこの観点を発見したことを一番の収穫と考えることにした、という報告です。もっと早い時間に書いておけばよかった。 未来の僕については、トピックについて考察してまた書きに来るように。 〔今日の英訳〕  Why do we have to study? (我々はどうして勉強しないといけないのでしょうか。) それではまた。

オーダシティー先輩

 先輩いつもお世話になってます。どうもこんにちは、16bitマドロイドです。 題名通りの話です。  今日は、久々にオーダシティーを使って編集作業をしました。編集すると言っても人の作品を切ったり貼ったりするだけではあるのですが、高校に入ってからこの手の作業を初めて行ったので、まだまだ初心者です。 始めたきっかけは、高校の体育祭…は中止になったのでクラスマッチのBGMを担当したことです。当時はオーダシティーを持っておらず、親のパソコンに入っていたサザナミを使っていました。しかし、周りにサザナミを使っている人が居ない上に親も使い方を忘れたとかいうことで、右も左も分からないまま触っていました。その結果が一曲まるまるをいくつか繋げただけの、プレイリストと大して変わらない代物、しかも保存ファイルは何故かmp3ではなくwavで、CDに入らないレベルで重くなっていました…。 その後、放送部のパソコンに入っていたオーダシティーの使い方を先輩に教えていただき、どうにか基本的な機能を使えるようになりました。家でも使えるようになり、今日もメドレーを作成しています。なお、作りながら書いてます。ながら作業はやめましょう。 ちなみに、今までに作ったのは、クラスマッチ用と体育祭用だけです。体育祭では3セットほど作りましたが、このように行事がないと編集する機会がないので、全てが練習の産物です。なお体育祭では、一番限定のメドレーを作るという若干の成長が見られました。  今日作っていたのは、初のサビメドレーです。2ヶ所切らないといけないという作業にビビっていたのと、曲の一番盛り上がる所どうしをくっつけられるだろうか、という不安から手を出していませんでした。しかし、昨日の夜遅くの謎テンションでクラスの人のイメソン集とかいう謎の物を作ってしまい、どうせなら編集したいと思ったけれど一番だけ繋げても長くなってしまうので、必要に駆られてサビメドレーにしました。…今、自分で書いていて、これを必要だと思っている人がこの一人しか居ないことも分かっているのに、適当な表現が見付からないのでやむを得ず使って自分で悲しくなっています。そんなこと言うなよ。 これがまた世の中どうなるものか分からないもので、恐々作成しつつあるサビメドレー製作が意外と楽しい作業であることも、今日判明しています。自分の選曲なので趣味が片寄った結果、全体

肩凝り

 背中が痛む。どうもこんにちは、情報認識知覚体マドロイドです。 肩凝りを初めて経験した話です。  僕は初めて、世に言う「肩凝り」を経験しました。すなわち、僕は初めて「肩が凝っていること」を経験しました。ただこれは要するに、高校に入ってから時々、肩が痛いなぁ、なんだろうなぁ、と思っていた現象が所謂「肩凝り」であることだと認識しただけなので、この状態そのものは前から経験していたことです。 しかし、僕はこの現象を「肩が痛い」としか捉えておらず、「凝る」という感覚も知らなかった為に今日のような発見をしたわけです。「知らないこと」は自分の中で「無いこと」にされているのだなと思い、興味深かったです。  なお、この「肩凝り」判明の経緯は、このところ自分でも、肩の痛みが筋肉痛にしては鈍く、肩を回すと何やらボコボコしたような違和感があることに疑問を感じており、そのことから考えた結果「肩凝り」という結論に達した、という感じです。  また、この認識と同時に「肩もみ」も初体験したのですが、あれは何なんでしょうか…。何やらくすぐったいというか、謎の衝動に駆られるというか、どうにも形容しがたい感覚でした。あれが「気持ちいい」に値するのでしょうか。これはまだ理解に時間が掛かりそうだ、と思いました。  因みに、英語には「肩凝り」という単語は無く、「肩が痛む」という表現しかできないようです。英語話者も「肩凝り」が無いわけではないはずですが、日本人と同じ認識を共有することはないだろう、というのも面白いことですね。 〔今日の英訳〕 Today, I experienced a sensation that known as the katakori for the first time. (僕は初めて、世に言う「肩凝り」を経験しました。) それではまた。

英語と日本人

 Hello everyone! …そんなに人は居ませんが、希望的概念閲覧者が見えるマドロイドです。 日本人が習っている英語の話です。  英語とかいう、字面はばっちりイギリス語な世界共通言語。大後悔…じゃない、大航海時代に始まった植民地支配の副産物というか忘れ物というか、そんな大某帝国の負の面の端がいつのまにか共通認識、一体化に使われているという面白い状態を現在進行形で観測していると、色々考えられて楽しいものがあります。 果たして英米の両国民はどう思っているのでしょうか。ただ、どうやら大航海時代は英語で「Age of Discovery」、発見の時代と呼ばれている事から考えると、多分誇らしく思っているのではと思います。アンケートなどを取って聞いてみたい所ですね。  さて、日本でも2020年度から小学校でも英語の授業が義務化され、2021年から中学校の新学習指導要領が導入されていますが、これらには良い点も悪い点もあると思います。  僕が小学生(普通の公立)の時の英語の授業は、ALTの先生と謎の歌(チャンツ)を歌ったり友達と簡単な挨拶をしたりと、遊びの要素を取り入れた楽しい授業だったと記憶しています。 中学校(普通の公立)では教科書の本文読解が増えましたが、先生がアメリカ留学から帰ってきたばかりで、その滞在経験の話と例文が結びつけられていたり、英語の歌を歌ったりと、楽しく学習する工夫がある授業でした。 ただ、この授業の問題点は、例文の形の暗記が中心であったことです。例えば「It 形容詞 for 人 to do」などを丸覚えすることがテストで点を伸ばす上で重要で、構文的な所には触れないことが多かったと記憶しています。このシステムは英語における落第者をほぼ出さなかった点では優秀ですが、僕は高校に入ってから触れた高校英語でかなり苦しみました。 確かに、高校入試(普通の公立)の英語は、文法問題や読解問題をある程度の例文の暗記でクリアできていました。しかし、高校の英語の授業、特に英語表現では、中学で習っていない SVOC や「過去完了」「仮定法」などの用語を履修した前提で当たり前のように使い、英文を「型」でしか認識していなかった僕は、とても苦労しました。  このような状況を踏まえると、小学校から基礎を身に付け、中学校で文法的な知識を習得することができれば、高校英語のハードルは大幅

逆走LIMBO

 Let's go to 辺獄。どうもこんにちは、マドロイドです。 このところ「LIMBO」というゲームをプレイしていて、ようやくクリアできたので感想と考察です。ネタバレを含むので注意。  まずこのゲームの名前である「LIMBO」から見ていきます。色々なサイトに出ている通り、これは「辺獄」という意味の英単語です。ただ、Playdeadはデンマークのゲーム会社らしく、そのデンマークはデンマーク語が公用語です。よってデンマーク語で調べることも考えたのですが、「Playdead」が「死んだふり」という英単語であることもあり、英語で翻訳しました。 続いて「辺獄」ですが、これはキリスト教で洗礼を受けずに死んだ子供が行く地獄、罪は犯していないけれど原罪を背負ったまま死んだ子供が行く地獄らしいです。なおキリスト教でいう原罪は、アダムとイブがリンゴを食べた、とかあの辺りの話です。そんな昔の話を次世代の子供にも背負わせるのは理不尽も極まりない感じがするというか、エデンの恨みを地上で返すと言うか。キリスト教の事情を「聖☆おにいさん」レベルでしか知らないので、発言に責任が持てないことをご容赦の上でお読みください。新約聖書は一応読みましたが、メジャーな所と鳩の屋台を蹴散らした所と魚がたくさん取れた所、あとは油を掛けられている所くらいしか覚えていません。申し訳ない。 なお「辺獄」について思ったことですが、なんとなく「賽の河原」に似ている気がします。賽の河原は仏教の話ですが、最大の共通点として、死んだ子供が行く所という所があります。他にも「辺獄」が天国と地獄の間にあると言われる一方で「賽の河原」が現世とあの世の間にある「三途の川」の河原にあると言われているのは、この2ヶ所の存在に何処にも属していない場所という共通点があるように見えます。また、どちらも子供が行って苦しむ場所であり、そのうち救いが来ることになっているという設定も似ています。 しかし、この3つの共通点は日本人である僕がキリスト圏の国のゲームをプレイしたからこそ、何となく浮かんだ関係にたまたま合っただけなので、信憑性はゼロです。どちらかと言うと、どこの世界の宗教の作者にも似た発想があっただけのように思えます。 結論としては、題名の「LIMBO」はキリスト教において「原罪を背負ったまま死んだ子供が行く所」である「辺獄」です。よっ

 5000兆円欲しい!!!…どうもこんにちは、マドロイドです。 題名そのまま、貨幣の話です。  本日、英語のワークをしていて「アメリカ人に1セント玉のイラストを描かせると意外と正確に描けない」という話を読み、なるほどと思い我らが一円玉を描いてみた所、見事に玉砕しました。裏面すら致命的なミスをするという…。 ということで、このブログを読んでくださっている(毎投稿にアクセス1を記録してくださっている)画面の向こうの何方かへ。ぜひ、一円玉の裏面をなにも見ずに描いてみてください。 いかがでしたでしょうか。 僕はと言うと、年を入れるのを忘れていました。何重かに引かれている線も引けなかったことは言うまでもありません。(なお、このように普段見ている物のデザインを思い出せないのは、人間がその物を思い出す時、その形の詳細ではなく、どのような物かという意味を思い出しているからとのことでした。) また、貨幣には表がありますが、そちらが何だったか思い出すことはできるでしょうか。 …アメリカの1セント玉の知名度と日本の一円玉の知名度にどれくらい違いが存在するのか分からないので何とも言い難いですが、僕は十円、五円などは思い出せても、一円玉は思い出せませんでした。悩んだ末にギブアップし、一円玉を取り出して表を見ると、…。草。ではありません。なんと造幣局によればあの植物は若木で、将来成長していく日本を表しているそうです。草にしか見えないし、日本はデフレーションというかスタグフレーションです。何やら残念な感じがします。 この調子で、他の硬貨の表面についても調べました。一番びっくりしたのは500円玉の裏面のデザインです。500と金額が描いてあり年の記載がある形式は他の硬貨と同じですが、他にも何か描いてある気が…はい、描いてあります。上下左右に模様があります。上下のものが笹っぽいというのは見た感じでも分かり、実際の所も笹なのですが、左右の何やら粒々したもの、これはどうやら橘らしいです。十何年か生きてきて、僕は初めてあの模様を橘の絵だと認識しました。知ってから見ると確かに、葉の合間に丸い実が見えます。世の中身近な新発見に溢れているものだな、と感心しました。  ちなみに橘ですが、一般人には馴染みの薄い植物のように思えます。ひな祭りで目にする程度でしょうか。これがどうやら、海外で若干話題になったりならなかった

理系と文系

 文系、理系、体育会系。どうもこんにちは、マドロイドです。 文理の話です。  普通科の高校生なら多くが経験する文理選択ですが、自分はどちらが向いているのか分からず、選択に迷った人も多いと思います。僕もその一人ですが、そういった立場で今日は、文理選択が前提の教育について意見を述べさせていただきたいと思います(ブログの定型文からのジャブ)。  まず、個人的には、教育においては文系と理系という枠組みは廃止すべきだと思っています。 早速例えが個人の話で申し訳ないのですが、僕が文系か理系かで迷ったのは、文系と理系で選択できる科目が違うからです。当たり前と言われればそうなのですが、例えば僕が選択したかった「生物」は文系では取ることが出来ず、同じく選択したかった「美術Ⅱ」は理系では取ることができません。しかし、数学が苦手なので「数学Ⅲ」の履修が必須である理系には行きたくない、でも文系では「生物」は選択できないのです。科目選択の悲劇。 結局、一番勉強したかった「生物」を取るために理系に行きましたが、数Ⅲには随分と苦労させられています。数Ⅲの授業では、先生に「理系さんだからこのくらいできて当然です」「これが解けないようなら進路の見直しを勧めざるを得ません」と日々ストレスを掛けられています。 僕のクラスは理系の生物選択者で構成されていますが、生物選択の人は、生物という分野が理科の中でも"組み合わせ"がシステムとして機能している学問(数学や物理は"理論"寄り)であることもあり、どちらかというと文系に分類される科目が得意な生徒が多いのです。実際、僕もテストや模試で高得点が取れるのは地理や現代社会、国語、そして生物です。 ここで若干、知り合いの例も出させていただこうと思います。この知り合いは文系なのですが、数学が得意で科学部の数学班に所属しています。何故この知り合いが文系に進んだかというと、彼の一番の得意教科であり、そのマニアとして有名でさえある「世界史」(世界史B)を理系では選択できないからです。なお部活は歴史部と兼部をしてどちらも楽しくやっているようですが、「模試を文系で受けると数学のウエイトが低いので成績が思ったように伸びない」という嘆きを聞いたことがあります。科目選択の悲劇再び。 僕の場合も数Ⅲが大学入試で必要ならまだしも、僕の目指す進路(環境

TRPG

 それではSAN値チェックです。…どうもこんにちは、マドロイドです。 タイトルと出だしからお察しの通り、TRPGとCoCの話です。 TRPGのプレイを始めて半年ほどの初心者ですが、今ではすっかりハマっています。それでも以前からTRPGの動画を視聴していた訳ではなく、動画でいくつか見たことがあって、聞いたことが無いことはないという程度の認識でした。 しかし、去年の夏にあやまち氏制作の「まれびとこぞりて」を回してもらって、その魅力に気づいてしまいました。何でもできる、好きなように動ける、キャラクターの設定も自由自在、…と、RPGを自分で体験できるゲームシステムが画期的でびっくりすると同時に、描写やストーリー、そしてダイスロールで運命が決まる、その奥深さの虜になったわけです。 初めて経験したのがCoCだったこともあり、その後はラヴクラフトの著書(読みづらい)を読んだり、ルールブック六版(読みづらい)を購入して読んだり、クトゥルフ神話の世界にすっかり魅せられていました。異端の神々と人間が偶然織り成してしまう物語、その狂気とドラマにキャラクターを置くことができるのがCoCの楽しい所だと思います。 ところで、最近はエモクロアやDXなどのシステムにも手を出しています。 エモクロアはルールブックがウェブで無料公開されていることもあり、CoCの次に読んだシステムです。しかし、キャラクター作成でつまづいて以来、参入者を待っている状況です。「共鳴」ギミックと現代の都市伝説的なホラーの相性がとてもよく、マスターしたらシナリオを書きたいとも思っています。 ダブルクロスは友達にルールブックを貸してもらって読んだシステムです。中二病システムと呼ばれたり呼ばれなかったりするその名の通り、シンドロームによる異能力、それを使った戦闘がとにかく格好いいシステムです。技の名前に左手が疼きます。また、人間関係が一つのギミックになっているのも特徴かと思います。物語の奥行きも深く、登場人物の関係と、立場や考え方の違いなどによるセンチメンタルを味わえます。キャラクターを作るのがとにかく楽しいです。 KPもPLもする部類の人間ですが、如何せん周りにTRPG自体のプレイヤーが少ないのが悩みです。シナリオがどんどん貯まっていく…。近年はインターネットのお陰でオンラインのダイスがありセッションサービスがありキャラクターシ

投稿

 かこつコメントに憧れる一般人。どうもこんにちは、マドロイドです。   毎日投稿しようと意気込んで始めたブログですが、既に1日投稿が延びています。言い訳にはなりますが何故かと言うと、ネタを絞れずにいくつか書き進めた結果、どれも中途半端なために投稿できないという状況に陥っているからです。 思う所は色々あるし、書きたいものもあるのですが、如何せん時間がないです。そもそも今日も、本当はこれから模試の自己採点をしないといけないのですが、書いておかないと今後諦めそうだと思ったので、取り敢えず今思うことを書くことにしました。 よく考えれば、小、中学校では毎日のように日記を書いていました。よく毎日ネタが尽きなかったものです。今思えば、先生からのコメントが嬉しかったのもあるのだろうと思います。自分の意見、思いを伝える楽しさを、日記を書くことで学ぶという教育だったのだろうか、などと今更ながらありがたく思えてきます。 毎日忙しいですが、意見文は少しでも文章を書き進め、まとまったら投稿しようと思います。それ以外の日はこんな感じの事を書くようになるのではと思われます。 〔今日の英訳〕 Looking back on days when I was in elementary school or junior high school, I would keep my diary every day. (よく考えれば、小、中学校では毎日のように日記を書いていました。) それではまた。

初めまして/窓辺の多肉植物園

【初めまして】  初めまして。マドロイドと申します。 前々から書いてみたいと思っていたブログを、遂に始めました。 日記というよりは、思った事を言語化する練習をしていくような書き物をしていくのでは、と思っています。普段から考えている、感じていることを分かりやすく可視化できたら面白そうだな、とも考えています。 運用目的の自分用の比率が高いような気がしますが、個人の記録が他人の何かの役に立つとも思えないので、妥当な状況でしょうか。 そんな訳で、宜しくお願いします。  初めてなので、自己紹介をしてみようかと思います。 …思ったのはいいのですが、趣味が広く浅く各所に分布しているので、何が趣味とも言い難いです。人間として生物学的にも社会学的にも、特に特徴は無いので言及する程の事項もなく…。 理系ではありますが、哲学や歴史、読書なども好きです。創作活動も若干しています。音楽を聴いたり漫画を読んだりもします。この辺は後々の話のネタになると思われますので、また語っていけたら。 【窓辺の観葉植物園】  生活の一部という程ではないですが、趣味の一つという扱いでもない気がする、観葉植物栽培の話です。 始まりはよくあるシチュエーションで、100円均一ショップの多肉植物を一つ買った、というものです。その多肉植物(セダム「月の王子」)とは、もう5、6年程の付き合いになっています。この品種は同じ系統の他の多肉植物と比べるとかなり増えるようで、僕の部屋の窓辺は子株の子株の子株の、…という繁栄ぶりを誇る「月の王子」一族がかなりのスペースを占めています。 他にも、セダム「銘月」、ハオルチア「十二の巻」、グラプトペタルム「朧月」、セネキオ「グリーンネックレス」、カランコエ「福兎耳」、カランコエ「マザーリーフ」、等々。一時テーブルヤシを育てていましたが、失敗して枯らしてしまって以来は育てていません。他にも、「ミニサボテン」とだけ書いてあった謎のサボテンも育てています。 多肉植物の魅力は、やはりその育てやすさにあるのでしょう。個々の生育型を把握し、日当たりと水やりに気を遣えば、室内なら虫の心配も無く、繁殖も簡単です。 また、ユニークな形状は見ると和みを感じ、花が咲けば嬉しく、現代人の荒んだ心にも潤いを与えてくれます。 個人的には品種の名前に興味を惹かれます。植物の名前というものは、やはり種として付いているもの